仲良くするべきなのに仲間なんてウザいんだよとエモーショナルに反発する人たちをどうやったら説得できるのか?
イギリスのEU離脱には本当に驚いた。
2014年に行われたスコットランドの独立是非をめぐる住民投票も終盤まで賛否が拮抗したが、結局最後は残留派が約10ポイント引き離して勝利したので、そのアナロジーで捉えてしまって、なんだかんだ結局イギリスはEU残留を選択するのだと思っていた(残留派議員の殺害の同情論もあると思った)。
アメリカのトランプやサンダース現象といい、先進民主主義国における既存政治への破壊衝動の大きさに驚く。
今回のイギリスの国民投票で離脱に賛成した人が(全員ではないけれど)合理的な判断に基づいて投票したわけではないことは明らかだ。
6月24日のワシントンポスト紙の記事「The British are frantically Googling what the E.U. is, hours after voting to leave it」は、国民投票の1時間後にGoogleで検索されたキーワードの上位5位が、①EU離脱の意味は?(What does it mean to leave the EU?)、②EUとは?(What is the EU?)、③EUの加盟国は?(Which countries are in the EU?)、④EUを離脱したら何が起こる?(What will happen now we’ve left the EU?)、⑤EU加盟国は何カ国?(How many countries are in the EU?)であり、いまさらそんなこと検索するなよ、と言いたくなるキーワードが検索され、離脱に投票した人も離脱が意味するところを知らずに投票したのでは?と批判している。
記事には他にも投票の翌日の朝に起きたら現実に慄き、再度投票する機会があれば、残留に投票すると答えた離脱派の声を届けている。
離脱決定後の新聞記事や識者のコメントを聞くと、労働者や底辺層の怒りを拾い切れていなかったとの分析や反省の弁があったが、しかし、ろくに自分たちで考えようとせずにEUがおれたちの生活を悪くしたんだ!という筋違いの陰謀論を頑なに信じる人たちをどう説得すればいいのだろうか?
内田樹は、民主主義のよさを「『わるいこと』が起きた後に、国民たちが『この災厄を引き起こすような政策決定に自分は関与していない。だから、その責任を取る立場にもない』というようなことを言えないようにするための仕組みである。政策を決定したのは国民の総意であった。それゆえ国民はその成功の果実を享受する権利があり、同時にその失政の債務を支払う義務があるという考え方を基礎づけるための擬制が民主制である」と述べている(強調は内田)
(出所:内田樹「反知性主義者たちの肖像」内田樹(編)『日本の反知性主義』晶文社、2015年、57頁)
内田が正しければ、あいまいな判断のもとしかも翌日になってようやく事の大きさを知ってやっぱやめておけばよかったと思う人たちがこの民主主義の基準に達していなかったことは明らかだ。まして離脱支持派の多くは高齢者だというからいよいよシルバー民主主義の弊害というものだ。これではスコットランドがむかついて再度独立したいと言いたくなるのも無理はない。
とはいえ、こういった非合理的な人たちも投票権を持っているのが民主主義だとすれば、彼らを説得する方法などあるのだろうか。民主主義は非合理的な「ホンネ」をありのままに発露するエモーショナルな人々を説得できるのだろうか?
民主主義には暗黙の前提がある。
すなわち、民主主義のもと政治に参加して欲しいのは、合理的な判断ができる徳のある人物に限られる、と。
(以下のアリストテレスやジョン・スチュアート・ミル、シュンペーターの話は佐々木毅『政治学講義』東京大学出版会、1999年の第2部第1章の「民主政治」を参考にしています)
民主主義は「開かれた政治」とか「人民の政治」を標榜するけど、実際の民主主義の運営は、中心に政治家がいて、その周りを政治階層(利益団体やメディア)が取り囲み、その周りを合理的で徳のあるエリートや知識人が取り囲み、さらにその周りを教養がなかったり、政治に関心のない一般民衆が取り囲む、という構図で、一番外側の一般民衆は普段政治に関わらないし、関わって欲しいと期待もされていない。というか、むしろ全然関わって欲しくないと実は思われている。
アリストテレスが民主主義(democratia)を貧しい人々が数の力をもとに支配する無秩序で過激な政治体制と捉え、悪い政治の1つと評価したことは有名である。民主主義を支持したジョン・スチュアート・ミルでさえ、彼は選挙権の拡大に賛成したが、有識者に複数の投票権を与えて一般民衆の暴走を阻止してほしいと考えた。
現在では民主主義を正面から否定する人はいないし、確かに現存する政治体制の中でもっともマシな政治体制だと言えるだろう。
しかし、民主主義が「人民による政治」といっても、じゃあ人々ってどんな人となんだという問いに対して、シュンペーターは、一般民衆は自分に直接関係ない世界の出来事を熟慮して合理的な判断を下せず、またそういう出来事について責任感を感じることもできない、無知と判断力に欠如した人々と喝破した。
このような人々は偏見や衝動に囚われ、政治の推進力にはなりえず、単なる政治の客体でしかない。一般民衆ができるのは政治への参加ではなく、誰が政治的な決定を行うかの人を選ぶだけに過ぎないのである。
一般民衆がただ政治の客体にとどまるなら害はない。しかし、彼らが政治参加を強めたらどうなるか。政治学ではしばしば一般民衆の政治舞台への参加は「民主政治による民主政治の破壊」につながるものと考えられた。ワイマール体制下のドイツにおいて民主的手続きによってヒトラーが選ばれたがごとく、一般民衆の参加は民主主義の安定性を破壊するのである。
ミルのようは政治学者にとって、一般民衆も民主主義という政治体制は信奉してほしいが、それ以上の参加はしてほしくない存在だ。そして政治の運営はただ合理性と徳を備えたエリートに任せてくれればそれでいい。一般民衆は政治の中身には無関心であってほしいのである。
これまで先進民主主義国で民主主義が安定していたのは、合理的で徳のある市民(合理的市民)が多かったからではないか。
合理的市民は二通りの方法で生まれよう。
一つは政治学が理想とする意識高い系の人、すなわち政治についてしっかりと勉強して政治を行うべき合理性と徳を備えた人である。
もう一つは、本当はホンネではいろいろ不満はあるけど、損得勘定に従って現行政治を支持してきた人である。イギリスのEU参加を支えていたのは二つの合理的人間だったが、数にしてみれば後者のほうが多かったろう。
彼らは、ドイツが再び戦争を起こさないよう封じ込める装置としてEUが必要である、冷戦で西側諸国の結束を高めるためにEUが必要である、英国病の治療のためにはEUが必要であると考えた。
良いことだとは思うのだが、これらの諸問題が解決したと思われたからこそ、別の問題、すなわちEUの政策協調のため独自の政策の裁量が狭められること、EUに多額の拠出金を提供しなければならないこと、移民の問題といった、国や国際秩序の安定性といった問題と比較するとより卑近な問題がクローズアップされるようになったのだろう。
いまさらドイツに第2のヒトラーが現れて再び世界大戦の引き金を引くとは思ってないし、確かにロシアは新冷戦を起こさんばかりにウクライナ問題では強硬だが、とはいえやはり冷戦期に想定されたような熱核戦争が起こるとは思えないし、英国病は治っているし、といった具合にだ。
これはイギリスに限られないと思う。第2次大戦の記憶や冷戦という超大国間の対立が今そこにあれば、ちょっとぐらいの不満はガマンできる。しかも、みんなも同じようにガマンしているのであれば、自分だけが不当に不利益を被っているとは感じない。こうやって第2次大戦の記憶と冷戦は意識高い系とは異なるガマンに基づく合理的人間を生み出した。そうした人々はイギリスのEU加盟を受け入れてきたのである。だが、EUに加盟した動機や理由が失われた現在、人々が合理的人間にとどまり続けるのは難しくなっている。
一般市民は政治に参加してほしくないとミルのような政治学者は思っていると先に述べた。しかし、現実には一般民衆も政治に入り込んでくる。そして民主主義も政治体制の一つである以上、倫理的な正当性だけではなくて、「諸価値の権威的配分」をしっかり行うという実績に基づいて判断されなければならない。
そして一般民衆の中には諸価値の権威的配分がされていないと憤っている人たちがいる。一般民衆が求める価値が一部のエリート(エスタブリッシュメント)たちによって不当に後回しにされている、エリートたちは姑息な手を使って自分たちの利益を優先している、と。あんなやつらが言ってることは信用できない、と(エスタブリッシュメントに言われると無性に腹がたつという気持ちは実はよくわかる。私も中学高校で夏目漱石や芥川龍之介など日本の名著を読むよう言われたが、それに反発してしまって今でも読んでいない。絶対読んだほうが人生にとっていいはずなのに(´Д` ))。
今回のEU残留派は経済的な利益を根拠に残留のメリットを説明しようとした。しかし、経済的なメリット、すなわちGDPがどれだけ伸びる減るといった議論は論理的には理解できても感覚的には実感しづらい。経済的なモデルを使って国全体の経済的な厚生を算出しても、一般民衆が知りたいのは「で、おれの懐にはどれだけカネが入ってくるの?」ということであろう。外交や安全保障政策の協調の必要性を説明されても、「それはわかったけど、隣に住んでる気味悪い異教徒の移民を追い出してくれよ」って言われても意識高い系の人は処方箋を提供できない。「そんな非民主的なこと言うもんじゃありません」と上から目線でたしなめるだけである。
今、「ホンネ」で話す人たちがどんどん政治参加しようとしている。これは従来の民主主義があまり経験してこなかったことではないか。第2次大戦の記憶や冷戦が人々をむりやりガマン系合理的人間にしてきた。冷戦が終わっても、冷戦終結の高揚感や旧ユーゴスラビアなどで悲惨な民族紛争が勃発して共同で対処しなければならなかったことが、意識高い系の再生産やガマン系合理的人間のガマンの期間を引き延ばすというボーナスステージを用意した。しかし、それらの問題解決に成功し、欧州域内では秩序が安定した不戦共同体を達成したことが、かえってEUにとどまらなければならない正当性を侵食してしまった。
ガマン系合理的人間が少なくなって、「ホンネ」があちこちで噴出している。これまで意識高い系とガマン系合理的人間を所与としてきた民主主義は新たなステージに入りつつあるのだろう。しかし、今のところ、「ホンネ」を話す人々への有効な処方箋は見つかっていない。2016年はどうやら「ホンネ」で話す人々の反乱元年になるのだろう。
今日はこの辺で。
リベラルコスモポリタンとナショナリストの相性の悪さ
自由や人権、平和といった普遍主義的なリベラルな価値観を掲げるコスモポリタンと固有の文化や民族的価値観を重視するナショナリストの相性は悪い。
その1つが19世紀のウィーン体制とその崩壊である。
ウィーン体制は、オーストリアのメッテルニヒやフランスのタレイラン、イギリスのカッスルレー、ロシアのアレクサンドル1世らが構築した欧州の国際秩序を安定させるためのレジームであった。当時の意思決定者の中心は貴族たちエリートで、彼らは当時の事実上の国際公用語であるフランス語を解し、貴族的文化を共有していた。他方、教養なき一般市民との間の精神的な結びつきは弱かった。エリートと自国の一般市民との間の垂直的な結びつきは弱かったが、国籍は違ってもエリート同士は貴族的文化も言葉も共有しており、国籍を超えた水平的な結びつきは強かった。垂直的な結びつきがないので今日でいうところのコスモポリタンほどの包含性には欠けるが、とはいえ国境線を越えるという意味でコスモポリタン的な要素を持ち合わせていた。
ウィーン体制下の欧州は勢力均衡のもと安定した国際秩序を達成した。勢力均衡とは覇権国の出現に対して、それが普遍的な帝国になって他国を支配するのを防ぐために、他の大国が対抗して合従連衡を組む傾向を指し、5カ国程度の力の均衡する大国によって形成される。しかし、高坂正堯やキッシンジャーによれば、それだけでは不十分で、当時のエリート層で共有されていた欧州主義という価値観が重要であった。エリートたちは合意と調和によって行動し、欧州協調(Concert of Europe)が達成された。当時の著名な国際法学者であるヴァッテルは、欧州はある種の共和国で、秩序と自由を維持するための共通利益を有しており、その共通利益維持のために勢力均衡の実現が重要だと述べている。
この欧州協調はコスモポリタンなエリートたちによって担われていたが、その協調を壊したのがナショナリズムであった。各地でナショナリズムが興隆すると、エリート間の国境を超えた水平的な結びつきよりも自国民との垂直的な結びつきを強化する要求が強まった。各国が欧州の協調よりも自国の利益を追求するようになった結果ウィーン体制は崩壊し、欧州諸国は第一次大戦という破滅の道へと突き進んだのであった。
ナショナリズムが欧州協調を崩したと捉えられているため、高坂正堯やキッシンジャーらはナショナリズムといった「〜イズム」を秩序の不安定化をもたらすものとして嫌う。
国際秩序の安定をもたらした一方、当時のエリートと一般市民との間の垂直的な結びつきはなかった。そのため、エリートたる貴族は一般市民の利益をさほど考えてはいなかったし、そもそも同じコミュニティに属しているという認識さえなかったであろう。ついでに言えば、当時はほとんどの国が民主主義でなかったか選挙権が一部の金持ちに限定されていため、一般市民の間でも積極的に政治に関わろうという人は多くはなかったであろうから、ウィーン体制下の欧州ではエリートと一般市民との間には互いを同じコミュニティに属しているとは感じていなかったに違いない。
翻って現代。相変わらず現代でもコスモポリタンとナショナリズムの相性は悪い。
現代のコスモポリタンは自由や人権、平和、マイノリティの包含といったリベラルな価値観を掲げ、ナショナリズムといった排他的な思想を嫌う。今日のリベラルの特徴は包含性だろう。
もちろん世界には国境はあるから、世界共同体は幻想でしかないが、それでもコミュニティの中でもかつてはマイノリティとして迫害の対象となっていた民族的少数派やLGBTといった人々の権利尊重を求める点において包含性を志向している。コミュニティの境界線といった場合も、領域的な意味での水平的な広がりと、領域内の人々の差異による差別をなくすという垂直的な包含性を高めようとする。
コスモポリタンをグローバリゼーション支持者まで広げれば、コスモポリタンのほうがエリートが多いように思える。教養がある人は他者を差別するべきでないという倫理観を持っていることが多いし、たとえグローバリゼーションで他国と競争しなくてはならなくても、能力が高ければ競争自体を恐れず、むしろイノベーションのために競争を支持するだろう。
他方で今日の日本におけるナショナリズムの担い手の少なからぬ人たちは自分たちが脅威にされされていると感じている。能力的に自信がなく英語さえもしゃべれない人であれば、外国人との競争の激化は歓迎できる状況ではない。能力という土俵での闘いでは負ける可能性が高い。そういう人たちにとってはコミュニティが民族的基準によって決まるほうがありがたい。日本人であることそれのみが敬意の資格要件であれば、外国人のほうがどんなに能力が高かったとしても日本人であるというその事実自体が外国人よりも上の地位を保証してくれるからである。
だからこそコミュニティの境界線をどこに設定するかがとても重要なのであって、このコミュニティの境界線をどこに設定するかで、コスモポリタンとナショナリストとの間で意見の相違があるように思える。
コミュニティの境界線は可変的であり、しかし一度コミュニティの境界線に関する人々の認識が形成されればその境界線がのちのちまでコミュニティ再生の基準となる。
たとえばヨーロッパ。ローマ帝国は今日の西欧や中央のほとんどを支配し、その意味で汎ヨーロッパ的な国家であった。ヨーロッパではしばらくこのローマ帝国の版図がヨーロッパのあるべき単位であると認識され、だからこそ800年のフランク国王カール1世の戴冠や962年にオットー1世が戴冠されて神聖ローマ帝国が誕生したりしているのだ。
カール1世やオットー1世はローマ教皇に戴冠されることで、再びカトリックに基づくローマ帝国の復活の役目を負った。実際に彼らとその子孫たちがローマ帝国を復活させることはできなかったが、ローマ教皇による戴冠というイベントは復活されるべき対象としてローマ帝国という単位がヨーロッパでは認識されていたことを示している。
しかし、1618年に始まった三十年戦争が非戦闘員の死者数が歴史上初めて戦闘員の戦死者数を上回るという悲劇を生んだため、単一宗教(カトリック)による統一的なヨーロッパの復活は諦めて、主権国家によるヨーロッパの分有へとシフトしたのである。
他方で、中国は分裂しても復活する。
中国の基本的な領域としての単位は漢の版図によって決定された。三国時代や南北朝時代など何度となく中国の王朝は滅亡し分裂の時代を迎えるわけだが、それでも新たな王朝が誕生すればおよそ漢の時代の版図が基準になっている。どんなに分裂しても清のように他民族の王朝になってもおよそ漢の領土を基準に再生するから不思議だ。あれほど広大な領土なのだから複数の国に分かれてもいいはずだし、今日でいうところ主権国家になったのを中華民国以来だとみなしても、それ以前から中国人の中での中国のあるべき姿として漢が基準とされていたといえる。
コミュニティの単位は領域によってのみ決まるわけではなく、先に述べたようにエリート対一般市民のように文化や言語といった属性によってもコミュニティの境界線が決定される。
コミュニティの範囲は可変的であり、しかし他方でいずれかの時点であるべきコミュニティの単位に関する人々の認識が確立されていく。
さて、『これからの「正義」の話をしよう』で一躍時の人となったマイケル・サンデルは政治哲学でいうところの「コミュニタリアニズム」に属する人である。
コミュニタリアニズムはその名のとおり自らの属する共同体の価値観から道徳や善の判断は無縁ではありえず、自己は家族や部族、都市、階級、民族、国家といった個人よりも広い共同体の中で発展していくとする。
サンデルは何の制約もなく自由に善を取捨選択している主体を「負荷なき自己」として、実際には個人はそのような存在ではなく、共同体に関係づけられた「位置付けられた自己」であるとする。
哲学の学界における論争はともかく、われわれの実感からすればコミュニタリアニズムの言っていることは納得感がある。
コミュニティの価値観に自己が束縛されているとすれば、コミュニティの範囲はどこまでなのだろうか?要するに自己が属する共同体と他者を分ける境界線はどこに引かれるのだろうか?
共同体という以上、一定の境界線が想定されるべきで、もちろん地球上全て=コミュニティという可能性も論理的にはありえるが、そうなってはもはやコミュニタリアニズムではなくコスモポリタンだ。
哲学者に言われずともわれわれはコミュニティが重要だということを実感として知っている。特に日本は村八分とか空気を読むといった言葉があるくらいで、共同体の影響力の大きさをとても感じている(閉鎖性や束縛というネガティブな意味も含めて)。
コミュニタリアニズムはリベラリズムやリバタニアリズムよりも他者との関係を考慮するので、その意味では他者との共存を重視する点では協調的とも言えるが、共同体外の人との関係をどうするかが問題となろう。
サンデルは、コミュニティは多層的であり、またコミュニタリアニズムは開かれたものでなければならないと主張することで排他性を回避しようとしているように思えるし、他のコミュニタリアンもリベラルな政治体制自体を否定する区分けではないから、共同体外の人々との共存を主張するだろう。
しかし、全ての人々との共存は誰しもが理想とするだろうが、実際の政治となるとそうはいかない。なぜなら資源は有限だからだ。
資源が無限なら他者の利得は自分の不利益にはならない。しかし資源が有益で希少なら他者が得ることは自分の損失になりうる。
だからこそ誰が同じコミュニティの人々で誰がコミュニティ外の人々なのかが重要な意味を持ってくる。そして自分が脆弱な立場にあればあるほど他のコミュニティの人々への利益配分が苦々しく思えてくるのである。
貧すれば鈍するとはよく言ったもので、限られた資源を争うとき、そして自分が脆弱でその資源を獲得できるかどうかが自分の生活に大きな影響を与える場合、コミュニティの境界線が自分にとって有利になることを期待する。
普遍的な思想や能力によってコミュニティの境界線が設定されるよりも日本人というそれだけがコミュニティの構成員たる資格要件であるほうがありがたい。ただ日本人であるというだけでその要件は満たされ、優秀であっても外国人であればその時点で弾いてくれるからだ。
そんなとき、幅広い人々を包含するようにコミュニティを設定すべきという主張は受け入れられにくい。ましてコスモポリタンな普遍的思想は不人気というものだろう。
普遍主義的なコミュニティ資格と脅威を認識している人が理想とするコミュニティ資格との相性はすこぶる悪い。
もっともリベラルなコスモポリタンのほうが差別に反対するし、どこの国でもリベラルのほうが社会保障を重視するので弱者保護的であるはずなのだが、その手を差し伸べる先があまりに幅広いと一人一人の分け前が減ってしまうように感じられるため、コスモポリタンは自分たちを味方してくれないと感じてしまうのだ。
コミュニタリアニズムにシンパシーを感じると言う小川仁志は、共同体の美徳を体現していないルールはみんなで考え直す必要があるという。ルール自体に問題があり、時代にそぐわなくなっているケースではルールだからと無理に押し付けるのではなく、ルールは外に向かって開かれているべきで、みなで話し合うことでルール自体をも変えることができる寛容さと柔軟さがコミュニタリアニズムからは導き出されるとする。
しかし、小川自身がコミュニタリアニズムは閉鎖的なムラ社会やゲイティッド・コミュニティのイメージがあると誤解されると危惧するように、最近はルール、特に憲法自体が時代にそぐわないとか共同体の美徳にそぐわないと主張する人たちが日本らしさを守るべきとか日本的と彼らが主張するところの価値観を道徳の授業などで広めようと気張っている。
垂直的な包含性が欠ける意見が幅を利かせ始めているが、それは何より脅威認識を感じ、競争でも勝てないと考えている人が増えているからだ。そういう人にとっては日本人であるという事実それ自体が敬意の資格要件となるようなコミュニティを望み、他者を排除してくれるほうがありがたい。
そういった人たちをなんて器の小さいと一蹴することがは簡単だが、それではコスモポリタンへの支持は高まらない。反対に自分の国や国民を第一に考えるという偏狭な政治家のほうが支持を得やすい。
同じ国に住んでいてもコスモポリタンとナショナリストは互いが同じコミュニティに属しているという仲間意識はないのではないだろうか。ナショナリストへの期待が高まっているのは脅威を感じる人が増えていて、コミュニティに守って欲しいと思っている人が増えているからである。脅威を感じている人にそんな偏狭なことを言うなと叱りつけても無意味だ。リベラルなコスモポリタンは守ってくれないと態度をさらに硬化させてしまうだけだ。
ナショナリストに安心供与をして同じコミュニティに帰属している感を感じてもらうことがコミュニタリアンとナショナリストを近づける第一歩であるように思う。
今日はこのへんで。
参考文献
取り残された層からどうやって支持を再獲得するか?
民主主義のよさの一つは勝者の流動性である。
今回の選挙で敗北しても次の選挙で勝利できる可能性があるから、今回の敗北を受け入れられる。それは政治家や政党にとってもそうだし、その政治家や政党の支持者にとってもそうだ。次回政権を取れる可能性が保障されているから、民主主義という政治体制を受け入れられる。
その意味で民主主義は勝者と敗者が流動的で、制度に対する不満を出にくい政治制度といえるが、それでも民主主義という政治制度への不満は存在するし、それはラディカルな政党の躍進や民主主義制度自体を否定(独裁や軍事政権の容認)というかたちで表出されることがある。
それは時代や国を問わない。
米国大統領選挙のトランプ、サンダース現象はまさにそれであるし、日本にだって起こる。
戦前まで遡れば、1936年の総選挙は、立憲政友会の大敗、民政党の大勝という結果となったが、それ以上に大きな特徴だったのは、労農系の革新的政党が躍進であった。
当時のジャーナリストはこの結果を、階級闘争として捉え、ブルジョア政党への不信票が無産政党に向かったと分析した。
対して、三輪公忠は中央対地方という図式で捉えるべきとする。当時の日本の知的エリートは、「大正デモクラシー」を西欧流の「近代化」と同一線上に歴史の発展と捉えていた。日本の中央の文化がコスモポリタン的性格を持ち西欧議会民主主義に親和感を抱き、反面、日本国内の都市と地方との構造的な対立を忘れていたと指摘する。労農系政党の躍進は中央の政治から参加するものとしては考慮されたことがなく単に統治の対象としてしか認識されていなかった地方からの批判票であったとする。
また、大正デモクラシー以後の日本政治ではしばしば大物政治家がテロや軍部によって排除されてきた。たとえば、原敬首相は金権政治を批判する国鉄職員によって暗殺され、ロンドン軍縮条約に反対する青年によって浜口雄幸首相が狙撃されたり、5・15事件で犬養毅首相が殺害されたりしている。
だが、こうした非民主的な行動はしばしば国民の支持を得た。この現象を阿部真之助は、政党政治が時間の経過にしたがって一般民衆の利害から遊離するようになり、政党が世の中の要求に沿わなくなってきたため、軍部が民意を代表しているかのごとくになったとしている。
三輪は、地方では政党政治への批判があり、そこから軍部への期待が生まれていたが、中央のジャーナリズムは議会制民主主義を支持していたことから、その政党政治への反発が、軍部との連携によって農村の難局の打開を図ろうとする山形県の置賜農民運動などの決起計画といった過激な方向性に進んでいることに思い至ることはなかったとする。その上で、もし地方の反発を中央の政治に反映する方法を西欧的なリベラリズムに思想の枠組みのなかで処理できるような独創的な構想を思い当たることができていたなら、と指摘する。
しかし、中央なジャーナリズムはそのように理解しなかった。地方の農村部だったこともあり、地方の農村部の中央への反発は前近代的な価値観と同一視され、反知性的な動きと捉えられてしまった。
前述のとおり、1936年の選挙での革新系政党の躍進はブルジョア政党への反発と評価されてしまった。しかし、三輪はブルジョア政党への批判としてのみ捉えるのは一面的であるとする。というのも、ブルジョア政党への批判というだけでは、あくまで問題なのはその政党であって民主主義や政党政治という制度そのものへの反発とまでは発想が及ばなくなってしまうからである。
トランプが共和党の大統領候補になったことやサンダースの躍進をほとんどの専門家は予想できなかったが、その要因としてワシントンDCの政局ばかりを追っていると、それ以外の地域での動きが見えにくくなるとの指摘を聞いた。ワシントンDCの所得平均は他の地域よりも高く人々の政治的意識も高い。その意味でワシントンDCの人々はトランプやサンダース現象を支えた非エスタブリッシュメント層がもっとも嫌う層の人々だったのかもしれない。永田町の常識は国民の非常識といった表現もあるが、政治の中心や首都といった中心部にいると周辺地域(都市部の底辺層や地方)の動きが見えなくなって、彼らを包摂する思考が失われ、気がつけば周辺で制度自体への反発が高まっていることになりかねない。
冒頭で民主主義の長所は勝者の流動性と書いたが、周辺部から見れば、周辺部が勝者になる可能性をほとんど感じていなかったかもしれない。日本でいえば、自民党と民進党、米国であれば民主党と共和党、いずれも結局が政治に関心がある意識高い系や政府に圧力をかける資金力のある圧力団体を有する業界にしか反応しないんでしょ、と周辺部が冷めていれば、制度自体への反発や制度自体の破壊をもたらしそうな過激な政党を支持したくもなるのだろう。
いつまでたっても勝者になる順番が来ないと冷めてしまえば、制度自体への支持も冷めてしまうものだ。制度の維持(憲法も含めて)を求めるのであれば、制度に挑戦する可能性がある人々をどう包摂するか、何度かこのブログで言っているが、この問いに対する答えを見つけなければならない。
今日はこのへんで。
参考文献
三輪公忠『共同体意識の土着性』三一書房、1978年。
で、結局戦後とはなんだったわけ?(3) —西洋的政治思想の中に非西洋性を見出すよりも重要なこと—
現行憲法および今日の日本政治の根幹となる価値観である「自由」や「民主主義」、「人権」などは西洋から輸入された外来思想である。
この事実はこれらの価値観に親近感を抱く人であれ嫌う人であれ否定できない。
外来思想が流入して、日本はどうなったのか?もしくは、どうなったのか、を考える上でどういった視座があるだろうか?
「アカルチュレーション」(文化触変)という言葉がある。
異なる文化をもつ集団が、持続的な直接接触を行って、いずれかの一方または両方を集団の元の文化の型に変化を発生させる現象を指す。
政治思想と文化は異なるものであるが、非物質的なものが他国から入ってきて受け手の非物質的な要素に影響を与えるという点では共通しており、頭の体操には有益ではないだろうか。
外来文化の侵入によって、受け手文化には以下の4つのタイプの結果が発生する。
一つは、受け手文化による外来文化の「編入統合」で、外来文化要素を受け手文化に適応させるように再解釈しながら受け入れて、受け手文化が変化する。
二つ目は、外来文化による受け手文化の「同化統合」で、外来文化が在来文化要素に置き換わり、在来文化の中心部分まで外来文化に適合するよう変化する。
三つ目は、受け手文化と外来文化の「隔離統合」で、同一機能をもつ受け手文化と外来文化が隔離されたかたちで並存する。
四つ目は、受け手文化と外来文化の「融合統合」で、在来文化と外来文化を融合させ、第三の新しい文化要素に作り変えて、統合度の高い文化体系が創造される。
日本の西洋的政治思想の受容のタイプを見ると、一つめの「編入統合」ないし「同化統合」だろうが、比較的ゆるやかなペースで日本が取捨選択しながら西洋的政治思想を導入してきた明治維新〜戦前が「編入統合」、敗戦により選択肢がない状態で自由民主主義的な国づくりを余儀なくされた戦後は「同化統合」といったところだろう。
ただ、文化触変では当然に在来文化支持者からの抵抗が予想される。なぜなら在来文化から利益を得ていたり、在来文化それ自体を愛する人が存在するからだ。特に「同化統合」ではより外来文化が在来文化の奥深くまでの変化を要求することから、在来文化支持者からの抵抗がより強くなる。
ただ、抵抗の態度も様々である。
外来文化に抵抗する態度としては、「ヘロデ主義」と「ゼロト主義」がある。
ヘロデ主義とは、敵対的文化触変抵抗の態度の一つで、侵入してくる外来文化を部分的に取り入れることで在来文化を守る態度である。
他方、ゼロト主義は侵入してきた異文化を全面的かつ熱狂的に排斥する態度で、在来文化を固守することで、在来文化を守ろうとするものである。
メディアでの論調を見ていると、最近の日本はヘロデ主義からゼロト主義へと転換しているように見える。
抵抗する相手への説得方法に、自己の在来文化と外来文化との共通性を強調することで、外来文化要素が自己の伝統的文化に含まれていると主張するのであれば、現在の護憲派やリベラルがやっていることがこれに近い。だが、彼らの試みは論理的ではなく、また成功しているようにも見えない。
今日の改憲論の一つの根拠が、現行憲法はGHQ主導でつくられた「押し付け憲法」であるということである。
護憲派であってもこの事実は否定できない。ただ、誰が現行憲法をつくったのか、そしてそれが日本人でない、ということが重要な争点となっていることから、護憲派は現行憲法の「日本製」の部分を探そうとする。
GHQ占領下、日本人の間でも憲法草案をつくる動きが活発化し、そのうち最も有名なのが鈴木安蔵の憲法研究会である。憲法研究会作の憲法草案が現行憲法によく似ていて、それがGHQの憲法草案に大きな影響を与えたとされる。
鈴木安蔵のもう1つの功績が、憲法第25条で規定されている「生存権」である。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」という生存権を憲法案に書き込んだ初めての人が鈴木安蔵とされる。
また、憲法第14条の「法の下の平等」に「性別による差別を受けない」という「男女平等」条項を入れたのはベアテ・シロタ・ゴードンという占領軍勤務の若い女性であったことから「ベアテの贈りもの」と呼ばれることについても、日本にはすでに男女同権思想は十分に発達していたので、贈りものというのは言い過ぎだと上野千鶴子は言う。
婦人参政権は幣原喜重郎内閣がマッカーサーから婦人参政権を含む憲法改正を示唆された1日前に閣議ですでに決定されていたのであって、占領軍がもらしたものではない。1931年にも貴族院が反対したために成立はしなかったが、婦人公民権法案は衆議院では可決されていた。そして、そこまでこぎつけたのは市川房枝を筆頭とする婦人参政権運動であった。このように、現行憲法で規定されている進歩的な思想は、決してGHQの贈りものではなく、日本人がすでに育んできたと彼女は指摘する。
しかし、すでにこのブログで何度も繰り返しているが、鈴木安蔵らの存在によって現行憲法の押し付け性を否定するのはやはり難しいと思う(が、私は多くの日本人がその後現行憲法を自らの意思で受け入れているのだから、事後的な承認はあったと思っている)。
というのも鈴木安蔵らが好き勝手に憲法草案を考えてそして政府(GHQ)に送付することができたのは、何よりGHQが政治的権力を握っていたからにほかならない。戦前の日本であれば草案を送付することがムリかとても危険を伴う行為だった。
それに市井の憲法草案を参考にするかどうかの生殺与奪の権利はGHQが掌握していた。そもそもGHQが憲法作成を主導するのは当初の松本(重治)案があまりに大日本帝國憲法から変わっていなかったからであって、GHQが仮に松本案を受け入れていれば、そもそも鈴木安蔵らの意見が顧みられることはなかった。したがって、鈴木安蔵らの意見が採用されるかどうかは完全にGHQの判断次第であったといえよう。
さらに言えば、鈴木安蔵らがいなければ現行憲法は存在しえなかったか、といえばそんなことはないはずだ。鈴木安蔵らがいなくてももともとGHQは自由や民主主義を導入した憲法を作成するつもりだったのであり、自由民主主義国の米国主導で作った憲法と自由民主主義に憧れた人たちがつくった憲法案は確率的に似るほうが当然だ。
鈴木安蔵らがいなくても現行憲法は誕生し得たが、GHQがいなければ現行憲法は存在し得なかった。政府がつくった松本案の存在がGHQなしに現行憲法が存在し得なかったことを雄弁に物語る。
因果関係を間違えてはいけない。鈴木安蔵らの憲法案はGHQの思想と似ていただけである。
自由や民主主義を支持するうえでこれらの思想の非西洋性を強調する主張は他にもある。
たとえば、山脇はアマルティア・センを引用して、紀元前三世紀のインドのアショカ王がアリストテレスのように女性や奴隷を排除せず、前農業期状態の共同体に住む「森人」にも自由の権利を認めたことを強調して、自由の価値を特殊近代ヨーロッパ的とみなす考えを退ける。
人権についても、人間の幸福という意味での「福祉」という点で、孟子の「恒産なくして恒心なし」という言葉があったことや、メアリー・カルドーを引用して、14世紀のイブン・ハルドゥーンがグローバルな市民社会を論じていたとする。
ただ、どんなに西洋的思想における非西洋性を発見しようとしても、その試みには限界があるように思う。
というのも、それはあくまで自由や民主主義といった理念を基準に過去を振り返っているだけで、自由や民主主義という理念が確固たる概念として固まってはじめて可能になるのであり、じゃあ誰がそれらの理念を体系化したの?と問われれば、それは西洋の政治思想家をおいて他にはいないのである。いってみれば特許のようなものであって、同じような考えを持つ人がいても、ちゃんと体系化して公に認められない限り、極論他の考えは存在しないのと同然だ(もっとも以前の米国の特許制度のように先発明主義なら過去を発掘する意義もあるが)。
西洋の政治思想家が体系化してくれたから、それらの思想の非西洋性を主張する人たちが過去の思想から共通する要素を発掘できるようになったのである。ある意味早い者勝ちであって、体系化して世に広く知らしめた人こそがオリジナルとなるべきで、仮にそれより先に同じようなことを考えた人がいても、あたかも特許料を支払うかのように、先に体系化した人を引用しなければならない。それがいやなら、その思想を使うのをやめるか、それ以上のオリジナルな概念を発明するしかない。
それに、西洋思想における非西洋性を発見したからといって「だから?」という感もある。
というのは、たとえば憲法改正論議でいえば、鈴木安蔵が引用されるのは現行憲法を維持するための方便にすぎない。現行憲法はGHQの押し付けじゃないんです、だって鈴木安蔵がいたじゃない、だから押し付けじゃないんだから、今の憲法を変える必要はないでしょう?って言うための方便だ。
先週のブログで書いたように、これまでの和製リベラルの欠点、すなわち対案を提示せずにただ現状維持を繰り返す訴える、という問題の根本的な解決にはなっていない。実は日本や東洋にも似たような思想はあったんです!って言うことは現状の不満層への応答にはなっていない。
和製リベラルは西洋思想の非西洋性の発見以上のことをする必要がある。
。。。。
ただ、一方でその難しさもよくわかる。
というのは、現行憲法は十分進歩的であるからだ。現実性はないが憲法9条の理念そのものは決して悪くない。もしあくまで「べき論」で世界がどこに向かうべきか、と問われれば、それは当然に戦争(というか武力行使全般)がない世界を目指すべきなのは自明だ。ただ、問題は現代ではその条件が整っていないに過ぎず、理念自体が否定されるべきではない。
自由や民主主義、平等、人権といった他の理念だってそうだ。現在の政治体制で民主主義以上の政治体制は存在しないし、自由や平等、人権が保障される社会のほうが素晴らしいに決まっている。
理念レベルで現行憲法以上のものをつくるのは難しい。むしろ現行憲法が保障すべき理念が十分に実現していないと考えるのであれば、護憲=進歩である。
和製リベラルは隘路にぶち当たっている。
現行憲法の理念は十分進歩的だから進歩的であろうとすれば現行憲法支持であってもおかしくない。ただ、現行憲法を維持するというのは現状維持には違いないから、その意味で「保守」でもある。ただ、現状を維持しましょうって主張するだけでは、現状に不満を持っている現状変革派に対してはなんら魅力的な回答にはならない。
こうした問題に直面しているのは日本だけではない。米国のトランプ現象や欧州における極右勢力の伸張も同じだ。進歩的な理念を守る行為が「保守」になってしまい、現状変革派への魅力的な回答を提示できていないのである。
現状維持派は勇ましさがない。どうしても守勢に回りがちだ。現状があったから今の問題が発生したと現状変革派が主張するなら、現状を維持しようというのは欺瞞にしか映らない。現代の政治思想がある種の理想点に達してしまったからこそ発生したジレンマだといえよう。
加えて、日本は欧米よりも難しい状況にある。自由民主主義的な価値観は欧米発の思想だから、思想の出処は大きな問題にはならない。議論は思想そのものの内実をめぐって争える。
ただ、日本ではそうとはならない。というのも、自由民主主義的な思想は西洋発であるがゆえに、思想の中身の論争に加えてナショナリスティックな色合いが付いてしまうからだ。すなわち、外来の思想が日本固有の文化や価値を脅かしているという具合に。だから、思想の中身自体よりも思想の出自という表面的な要素の対立に重点が移ってしまう。
欧米では自由民主主義思想の文化触変性はそもそも存在しないか、その葛藤はだいぶ小さい。日本では自由民主主義思想に文化触変の要素が付加されてしまうため、より問題が複雑化してしまうのだ。
では、どうしたらいいのか。
現状維持VS現状変革の部分にだけ的を絞って、少しだけ考えてみる。
国際関係論の知見では、現状が維持されるのは、支配的な大国を含む現状に満足してる勢力が現状に不満を抱く勢力の力を圧倒しているときに保たれるというものだが、改憲派と護憲派の勢力分布を比較すると護憲派の力が改憲派を圧倒しているようには見えない。
もう一つは、支配的大国の柔軟性である。支配的大国が挑戦国に対して秩序を受け入れられるような調整をどのくらいするか。
現状、護憲派は改憲派の不満に答えていない。むしろ、普遍的な思想を足がかりに改憲派を攻撃しているようにしか見えない。
これではかえって改憲派の不満を煽るだけだろう。護憲派は対案を出さなければならない。それも現状不満派の不満に答えるように。
しかし、それは何であろう?答えはどこにあるのか?そもそも答えはあるのだろうか。。。?理想だけでいえば、「融合統合」を目指して新たな第三の道を考え出すべきなのだろうが、では具体的にそれが何かは難しいなぁ。。。
今日はこのへんで。
参考文献
山脇直司『社会思想史を学ぶ』筑摩書房、2009年
田中明彦「パワー・トランジッションと国際政治の変容—中国対等の影響—」『国際問題』No.604、2011年
で、結局戦後とはなんだったわけ?(2) —リベラルの居場所—
私はリベラルの民主主義や人権、平和といった価値観に共感しているが、それでもリベラルのことは嫌いである。
そのきっかけは国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)への自衛隊派遣に反対する平和主義者たちの抗議デモであった。
UNTACは自衛隊が初めてPKOに参加した事例だが、この自衛隊の海外派遣が憲法違反になると社会党や平和主義者たちが反対したのだ。
確かに国連PKOには軍事要員が含まれる。しかし、軍事要員は戦争遂行のために派遣されるわけではなく、武器の使用も(少なくとも当時は)自衛の場合に限定されている。UNTACの目的はカンボジアの内戦からの復興と統治能力の回復であった。国連という外部アクターが一国の統治を肩代わりすることを現代版の植民地主義・信託統治と見る向きもあろうが、それでも戦争を目的としているわけではないことは明らかである。
任務を効果的に達成できたかの評価は分かれようが、UNTACは間違いなくカンボジアの平和を目的としたミッションであった。
それこそ平和主義者たちが支援すべきミッションである。にもかかわらず、日本の平和主義者はUNTACへの自衛隊派遣に反対した。自衛隊員の安全を案じたのであればわかる。まだポルポト派の残党が存在しており、事実、日本の中田厚仁国連ボランティアと高田晴行警部補の2名の殉職が出たからだ。
だが、社会党や平和主義者たちの反発の根拠は自衛隊の海外派遣は憲法違反であり、軍国主義の復活といった非現実的な懸念であった。
当時の平和主義者や社会党の主張が採用されていれば一体誰の平和に貢献したのだろうか。少なくともカンボジアの人々の平和でなかったことは疑いない。
一言で言えば、日本のリベラルは「一国平和主義」であることを露呈したのである。
以来、私は日本のリベラルを信用してない。民主主義や自由、平等、平和、男女同権、夫婦別姓、LGBTの権利保護、日本在住の外国人への参政権付与などなど、リベラルが支持しそうな理念や主張を私はどれも支持している。それでも、私は日本のリベラルが嫌いだ。
日本のリベラルが嫌いなのは私だけではない。近年、日本のリベラルの評判は悪い。
安保法制や憲法改正の一連の議論で明らかとなったのは護憲派/リベラル/左翼の主張の説得力のなさだ。
なぜこんなにまで彼らに説得力を感じないのだろう。
三浦は日本のリベラルは変化に消極的で既存の政策に対する反対ばかりで建設的な役割を果たしてこなかったと指摘する。
グローバル化が進み経済や貿易の自由化が必要なのに、自由貿易協定には反対し、銀行を不良債権をつくったと批判しながらその処理の過程における貸し渋りを批判し、公共事業は否定するが産業構造の改革案はなく、福祉の拡大を主張しながら財源の捻出には口をつぐむといった具合に、ただその当時の与党の政策を批判するばかりで実現可能性のある対案を提示してこなかった。
そして安全保障で主張するのは憲法(9条)改正反対をただ連呼するのみである。
三浦は海外のリベラルは最新の知見の応用に積極的であったとする。たとえば世界では教育や福祉の分野にも経済学の知見を応用し、米国クリントン政権は労働のインセンティブを提供して自立を促す福祉政策を導入したりインターネットを教育に取り入れ、英国ブレア政権は競争原理にインセティンブやガバナンスの仕組みを上積みして成果の上がらない学校や地域には厳しい態度で臨み、ドイツのシュレーダー政権は硬直的な労働規制を改革するなど、世界各国のリベラル政権は最新の知見や技術を応用して政策を変化させた。
安全保障面でも、世界のリベラルは人道的介入という新たな武力行使の類型を加えた。虐殺や抑圧によって苦しむ一般市民を救うために武力行使を認めるという人道的介入は伝統的な国家主権概念に抵触する。しかし、カナダ政府が設置した「介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)が提唱した主権観「保護する責任(Responsibility to Protect: R2P)で理論武装して、少なくとも理念レベルでは保護する責任は国際的に受け入れられた概念となっている。
国連も変化している。前国連事務総長のコフィ・アナンは保護する責任と人道的介入を支持した。国連憲章2条7項は内政不干渉原則を定めているから、安保理が「国際の平和と安全への脅威」がある認定し武力行使を容認する場合を除いて、基本的に従来の国連憲章の解釈では人道的介入は認められないはずである。
それでもアナンは人道的介入を認めた。それは米国や英国といった西側大国がアナンに強要したからではなく、ユーゴ紛争やルワンダ内戦で国連が虐殺阻止に何もできなかったことに対する反省に起因するものであった。旧ユーゴのボスニアやルワンダで虐殺が発生した当時、国連の平和維持活動(PKO)が現場に派遣されていた。国連PKOの指揮命令は国連事務局の平和維持活動局(DPKO)が担当しているが、当時のDPKOのトップである事務次長に就いていたのがアナンであった。アナンは虐殺を阻止できなかったことへの反省から人道的介入を認めたり、一般市民保護のために国連PKOの強化に取り組んだ。
人道的介入や保護する責任、PKOの強化には賛否両論あるが、それでも大事なのは、世界のリベラルたちは時代の変化に対応するために政策の改革に取り組んできたという事実である。
翻って日本のリベラルはどうかといえば、戦後一貫して憲法を守れ、戦争反対、自衛隊の海外派遣反対、ただそれだけである。戦後70年ほぼそれだけ、というのは怠慢としか言いようがない。
これにはリベラルやそう目されている人たちからも反省の弁が出ている。
上野千鶴子は、改憲派はいろいろアイデアを出してくるのに、護憲派は「対案はありますか」と問われても「いまのままで変えなくてもいい」、だから「何もしなくてもよい」としか言えず守旧派になってしまって魅力がなくなってしまうと指摘する。
大澤真幸と木村草太も復古的な思想への危機感がリアルだった世代には9条を守れという訴えは有効だったかもしれないが、敗戦の記憶をもたない世代にとっては民主主義や人権、平和といった普遍的な思想を振りかざす護憲派の態度は上から目線の押し付けに感じられてしまってもしょうがないと言う。
上野や大澤、木村らはリベラルは自分たちなりのリベラルの戦略を新たに探さなければならないと訴える。リベラルは変わらなくてはならないのである。
もっとも、日本のリベラルは海外のリベラルに比べて不利なことがある。
海外のリベラルと保守は外交面でも内政での対立軸がおおざっぱに言えば一致している。リベラルは国際関係を協調可能と捉え、内政も社会保障を重視する大きな政府を志向する。他方、保守派は国際関係を対立的と捉え、内政も自助を重視する小さな政府を志向する。そのため、外交面では国防を重視しても、内政では社会保障を求める有権者であればリベラルを支持する可能性はある。
他方、日本では外交はともかく、内政ではリベラルと保守の対立は海外ほど強くない、というかセオリー通りであれば小さな政府を志向すべき自民党が非常に大きな政府を志向し、今日の社会保障制度のほとんどは自民党政権下で整備されてきた。最近はあまりに借金が増えて財政規律を考慮せざるを得ず社会保障制度利用者の負担増が議論されているが、それでも昨日に安倍首相が2019年10月までに消費増税を延期する意向と報道されたように、自民党は国民への負担増に踏み切れない(手厚い社会保障を理念とするというよりは選挙を懸念してだろうが)。
セオリー通りであれば、手厚い社会保障と国民の負担軽減はリベラルの縄張りであるはずである。しかし、日本においては自民党が少なからずその役割を担ってきてしまった。内政で保守派を攻撃しようにも、こと内政については日本の保守派は中道かやや左である。リベラルは武器の一つを奪われている状態であって、存在感を示す場が制約されてしまっているのである。
意見が決定的に対立するのは憲法しかない(それとて冷戦期は自民党も改憲に消極的であった)。リベラルが勢力の縮減を怯えて存在感を示そうとすれば、憲法が争点化せざるをえないが、リベラルが嫌われているから、リベラルが護憲と叫べば叫ぶほど改憲派が増えるという(護憲派から見れば)悪循環が発生している(私は日本が右傾向化しているというよりは反リベラルが増えているといったほうが正解だと思っている)。
これからリベラルは日本の中でどこに居場所を見つけるのか。
日本のリベラルは護憲(特に9条という戦争・安全保障)と(この記事ではほとんど取り上げなかったが)歴史認識だけに精を出している。
今年7月の参議院議員選挙で有権者もっとも重視する争点に関するNHKの世論調査によると(1月時点)、社会保障や景気対策がともに23%で1位、消費税が15%、安全保障が13%、憲法改正が13%、TPPが3%であった。安全保障や憲法改正の割合は決して小さいわけではないが、国民の関心は社会保障や景気対策にある。
社会保障や景気対策においてリベラルは無策である。実現可能性のある対案を示せていない。
自民党に侵食されていることが大きな要因であろうが、それでも国民の関心がここにある以上、リベラルは対案を示さなければならない。リベラルは変わらなければならない。そうでなければ、これからの日本にリベラルの居場所はなくなってしまう。
三浦は地方や女性、非正規のニーズは十分にくみとられておらず、リベラルが取り組むべきテーマはまだまだあると指摘する。三浦は一言でうまくリベラルの奮起を促している。
「闘え左翼、ただし正しい戦場で」
リベラルが護憲を超えた存在として日本に根をおろすことができるのか。リベラルの格闘をフォローしたい。
いかがでしょう?
参考文献
三浦瑠麗『日本に絶望している人のための政治入門』文藝春秋、2015年
で、結局戦後とはなんだったわけ?(1)—嫌われものの戦後を好きになるには—
安保法制や憲法改正をめぐって護憲派の旗色が悪い。憲法9条を擁護しようものなら、お前は売国奴か、国際情勢がわかっていない愚か者か、平和ボケか、ネトウヨから相当な罵詈雑言を浴びてしまう。
メディアやネットニュースのコメント欄を見れば、安保法制反対を唱えたSealds(自由と民主主義のための学生緊急行動)には相当強い批判が寄せられている。首相に「バカ」と言ったりちょっと口汚かったりして無用に批判を煽ったところもあるが、相当な嫌われようである。
右寄りな人がSealdsや9条を擁護する憲法学者に否定的ななのは、まぁ、よくわかる。しかし、サイレントマジョリティの多くは憲法を支持していると私は思っているし、そして私も9条を含めて憲法を支持しているが、それでもSealdsや憲法学者の主張に心から賛同できるかと言われれば、留保せざる得ない。
やっぱりSealdsや憲法学者の主張って「絵空事」だよねっていう感覚が拭えないからだ。
在特会(在日特権を許さない市民の会)のようなレイシスト的な右は下品でイヤだが、さりとて護憲派も上辺だけの胡散臭い感じがするという大多数の人びとの疑問や不満に右も左も有効な回答をくれていない。
護憲派は憲法9条を改正すると日本が戦争をする国になるというが、9条的な憲法の存在と武力紛争との因果関係はよくわからない。ウプサラ大学の紛争データベースを見ると、少なくとも統計的には戦争や武力紛争の発生件数は減少していて、特に国家間の武力紛争である戦争にいたっては今日ではほぼ存在しない。
しかし、それは世界中に9条的な憲法が増えてきたからではない。国際法レベルでは国連憲章第2条4項が武力行使を禁じているが、憲法レベルでは9条のような武力行使の放棄を定める憲法は増えていない。それでも世界から戦争の数が激減したということは、9条的な憲法と戦争との発生には因果関係がないことを示している。
したがって憲法9条の改正と戦争するかしないかについては、因果関係はおろか相関関係させなさそうであるが、護憲派は憲法9条改正と戦争の蓋然性との因果関係をきちんと説明してくれたりはしない。
また、こうした問題に護憲派が解を提示してくれないということに加えて、「民主主義」とか「自由」とか「平和」といった憲法が掲げる理念に対するどこか胡散臭さを感じる人は多いのではないか。戦争を経験した世代は身をもってその重要性(特に平和)を理解しているが、そうでないもっと若い世代はもう少し冷めているのではないだろうか。
民主主義や自由、平和という価値観に反対という意味ではない。そうではなくて、民主主義や自由、平和って日本人的な価値ではなくて、敗戦によって他者から否応なく認めさせられた価値観じゃない?っていう意味だ。
日本はアジアの中でも早くに民主主義国になった国だ。だから、われわれは胸を張って自由民主主義国ですって言ってもいいと思うのだが、対中国戦略の一環で価値外交を進める上で日本が民主主義や法の支配を信奉する国だってアピールすることはあっても、日本人自身がそれらの価値観を日本のものとして内面化しているかといえば、ちょっと心もとない。その点、(人口という意味で)世界最大の民主主義国インドのほうがよほどわれわれは民主主義国だって自信に満ちているように見える。
やはり民主主義とか自由とか、平和って借り物感が拭えないのだ。
幕末・明治の志士たち、すなわち、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、高杉晋作たちの人気は根強い。なぜなら、明治維新はわれわれ日本人の手で成し遂げたと胸を張って言えるからだ。自分たちで国づくりをしたって自信満々に言えるのは幕末・明治まで遡らなくてはならないのだ。だからこそ、右寄りの人は戦前の日本への憧憬があるのだろう。
反対に第2次大戦後、日本の復興に尽力した日本人を挙げるのは難しい。吉田茂はよい。すぐに名前が挙がる。しかし、その次になると途端に難しくなってくる。幣原喜重郎、東久邇稔彦、片山哲、芦田均、重光葵などなど、幕末・明治の志士に比べると知名度の低さは圧倒的である。尊敬する偉人に坂本龍馬が挙がっても、幣原喜重郎を挙げる人はよほどのマニアだと思う。
実際、日本テレビで放映された「超大型歴史アカデミー 史上初!1億3000万人が選ぶニッポン人が好きな偉人ベスト100」(2006〜2007年放映)では、幕末・明治の偉人は、坂本龍馬、土方歳三、西郷隆盛、高杉晋作、近藤勇、大久保利通、沖田総司、勝海舟、吉田松陰、伊藤博文らが入っている一方、敗戦直後の政治家は吉田茂ただ一人である。戦後政治家の存在感は限りなくゼロに等しい。
現在の日本の礎を築いた敗戦直後の政治家の存在感が薄いことは、戦後という時代を日本人自身がイマイチ自分たちが築いてきたものと意識しきれていないことを象徴しているように思える。
過ぎたことを悔いてもしょうがないし当時の時代背景を鑑みれば他に選択肢はなかったのだが、米国によって日本の戦後体制が構築されたのは大きな問題だったのだろう。戦争犯罪の裁判も日本人自身がやるべきだった。むちゃくちゃな憲法でもいいから日本人の手によってつくって、それで失敗すればよかったのかもしれない。
そういう意味では民主主義への自信という面では日本よりも韓国のほうが強そうな気がする。韓国は戦後開発独裁の時代を経験し、1987年に国民の直接投票による大統領選挙を導入することで民主化を実現する。そのため韓国は自らの手で民主化を成し遂げたといえ、日本人よりも民主主義を内面化している可能性はある。
鈴木安蔵ら左派のインプットがあったとはいえ、憲法がGHQ主導で作成されたのは間違いない。そもそも鈴木安蔵らが意見を言えたのもGHQが占領していたからであって、戦前に左派が憲法案について物申すことは不可能であった。どのようなアイデアを採用するかの生殺与奪の権利はGHQに委ねられていたのである。
私的には戦後多くの日本人は憲法を支持してきたので、われわれの意思で事後的な承認を与えてきたと思っている。しかし、GHQ主導であったことが、今の憲法がどこか日本人のものじゃない感じを生み出してきたことも間違いない。
別にこれは日本人特有の感情ではない。たとえば、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)がそれだ。1990年代初頭の旧ユーゴ紛争後、国際人道法違反を裁くためにICTYが設立された。旧ユーゴ紛争(ボスニア紛争)ではセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナが紛争当事者であり、紛争は最終的に北大西洋条約機構(NATO)によるセルビア空爆によりセルビアが停戦を受け入れ終結する。スレブレニツァの虐殺など相対的にセルビアが加害者として認識されたため、多くのセルビア人が訴追されている。ICTYをセルビア人が受け入れているかといえば、そんなことはなくICTYは勝者による不公平な裁判であると認識されている。
旧ユーゴ紛争のように外部からの武力介入がないまでも、冷戦終結後は内戦が終結した国に国連等の国際機関や外国が関与して民主化が進められることが多い。カンボジアやモザンビーク、コソボ、シエラレオネなどなど。しかし、これらの国で民主主義が根付いた国はない(もちろん民主主義の定着には何十年もかかるだろうから評価するには時期尚早という面もあるが)。カンボジアやモザンビークは秩序は安定しているので、内戦からの復興(平和構築)の成否という面では成功例といってもいいと思うが、民主化が進んでいるかと言われれば、ちょっと厳しい。
やはり外部主導の民主主義の定着は難しいのか、と悲観的になってしまう。
しかし、現在存在する政治体制のうち自由民主主義に優るものはないのであって、憲法を改正しようがしまいが、われわれは戦後体制に付き合い続けなければならない。先述のとおり、たしかに今の憲法はGHQ主導でつくられたものだが、一方でわれわれ自身が支持してきた一面もあるはずだ。その戦後を「外部から押し付けられてしょうがなく受け入れた時代」と切り捨ているのは少し寂しい。戦後をどう捉えるべきか、もう少し考えてみたいと思う。
多数で決めるは悪いのか? —どんな決め方ならいい?—
「多数で決めて何が悪いのか」
5月2日の朝日新聞の「憲法を考える」という論説の一文である。朝日新聞自体が「多数で決めて何が悪いのか」と言っているのではなく、安倍政権の政治を多数の専制と捉えての一文である。
朝日新聞によると安倍政権によって立憲主義が危機にさらされているという。具体的な根拠としては、2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定で歴代内閣の憲法解釈を首相の一存で変えたことや、憲法学者が違憲との判断を示す中で安保関連法案を国会で通したことが挙げられている。
「数の力がすべてだ。◯か×か、多数で決めて何が悪いのかーー。ぎすぎすした政治が広がっている」
とのこと。
確かに憲法9条を擁護する立場からすれば、昨今の安倍政権下で進む安保関連法の整備や憲法改正に向けた動きに危機感を抱くのは当然である。
他方で、多数決によらないとすると、いかなる意思決定方法を理想とすべきなのだろうか。それがわからないとこの議論は先に進めないが、この問いに対する明確な答えを出すことは非常に困難である。
そもそも、1996年に衆議院議員選挙で採用された小選挙区比例代表並立制は、小選挙区では勝者総取りとなるため、得票率以上に議席を獲得できる可能性が高くなる。そのため、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に移行した時点である程度は選挙で勝利した政党が大幅に議席を獲得することは予想されたことである。
また、議院内閣制は議会の多数派政党と行政府のリーダーの出身政党が同一になるのが通常であるため、内閣が強力なリーダーシップを発揮しやすい制度である。
そのため、小選挙区制や議院内閣制を導入すると、首相が自分の望む政策を強力に推進できる環境が整いやすい。
では、それが立憲主義や民主主義の否定を意味するか、といえば、そうではなかろう。
小選挙区制度は米国や英国で採用されており、議院内閣制も英国で採用されている制度である。だからといって、米国や英国が非立憲主義国だとか非民主主義国とはならない。それと同様に、日本で多数の議席を獲得する政党が現れ、政権主導の政治が行われたからといって、それが立憲主義や民主主義の否定に即つながるわけではない。
だが、朝日新聞の懸念を無視してもいいということにはならない。なぜなら十分に議論すべき重要な論点、すなわち「誰が支配すべきか、誰の選好を優先させるべきか」という民主主義の制度化にとってとても重要な問いが込められているからである。
佐々木毅は、民主主義の制度を「多数派支配型」と「合意型」の2つに分けている。多数派支配型は、多数派の意向に合致する政治が少数派の意向に配慮するよりも民主主義の理念に適うという立場で、他方、合意型は、政治から排除される集団を限りなく少なくすることが民主主義にとって望ましいと考える立場である。
多数派支配型の代表格は米国と英国で、特に英国は議院内閣制、小選挙区制、厳格な党の規律に支えられ、首相がリーダーシップを発揮しやすい制度であり、それゆえ、多数派支配型はウェストミンスター型とも呼ばれている。現在の日本の制度もイギリス型を志向しており、であれば、首相がリーダーシップを発揮する局面があることはもはや所与のことといえる(小泉元首相を除いて、1996年以降も歴代首相はリーダーシップを発揮してきたとはいえないが、それは議院内閣制や小選挙制という制度に由来する原因というよりは、中選挙区制の名残で派閥が自民党に残っていたり、旧民主党は選挙互助会的に多くの政党を統合したことで党内の意見を統一できなかったりすることによる)。
合意型は排除を避けて包摂を重視する一方で、多数支配型は意思決定がスムーズでリーダーシップを発揮しやすいので、政治が停滞するリスクは下げられる。どちらも一長一短で、どちらかの制度が優れているということはない。だからこそ悩ましいのである。
望ましい民主主義のあり方を問うた点で朝日新聞の論説は意味のあるものだ。
だが、もう一方で付け加えておきたいのが、変化を起こすほうが注目を浴びやすいため現状変革派はしばしば修正主義者とみなされやすい。現状変革派のほうが積極的にパワーを行使しているように見えるが、現状を維持の場合にはパワーが働いていない、、、なんてことはない。
現状維持かそれとも現状変革か、は互いのパワーの優劣によって決まるのであって、現状が維持されるのは、争点がないからでもパワーが行使されていないからでもなく、現状維持派が現状を維持という目的を達成するためにパワーを行使しているためである。
朝日新聞は安保関連法や憲法改正を、安倍政権や自民党がサイレントマジョリティーが憲法9条の維持を望んでいるのに、それを無視して独断でことを進めているように理解しているのかもしれないが、現状維持の場合であってもそれは一部の人たちの選好には違いないのである。
安倍政権が憲法を改正しようとしなければ朝日新聞は文句を言わなかっただろうが、それはダブルスタンダードな態度である。議会の多数派が憲法を改正しないことを選択したとしても、それも議会の多数派による意思決定であり、多数派支配の一例には違いないからである。
「誰が支配すべきか、誰の選好を優先させるべきか」
もし、現状維持派が現状を維持するという選好を優先してほしいと考えるならば、なぜその選好が優先されるべきかを説得的に示すか、政治を支配できる「誰か」になる必要がある。
安倍政権で右寄りの政策が進むことに対する懸念は理解できるが、なぜ現状維持派の主張が説得力を失ったのかも考える必要があるだろう。そして、安倍政権の行動が多数派の専制だというなら、どういった制度ならいいのか提示する必要があるのではないか。
小選挙区制をやめて比例代表制を導入するのも一手だが、そうすると一党が議会の過半数を握ることが難しくなり、複数政党による連立政権になる可能性があり、決められない政治が惹起される可能性がある。もちろんドイツのように比例代表制を採用しても政治が進む国もあるが、ドイツでも移民排斥を主張する極右政党「ドイツのための選択肢」が台頭しつつある。比例代表制であれば極右政党が議会の過半数を占めるリスクは避けられるかもしれないが、一定の議席数を確保する場合、連立の一角を占め、事実上のキャスティングボートを握る可能性もある。多数だからといってそれが立憲主義や民主主義の否定になるとは限らない。圧倒的な多数派を生みにくくする制度であっても、それがかえって立憲主義や民主主義を否定する勢力を意思決定の場への参加を後押しすることもある。
多数派支配型を採用するか、合意型を採用するか、そしてそれが立憲主義や民主主義のあり方にどのような影響を与えるかは、簡単には回答の出せない難しい問いなのである。
いかがでしょう?
参考文献