猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

「不確実性の時代」はいつくるのか?

  

「不確実性の時代」は一体いつになったらくるのか?

松の内とはいえ、1月5日ともなると正月気分はだいぶ抜けてくる。

 

年末年始の新聞や経済誌などはだいたい新年やその先の時代のあり方を特集する。この年末年始も例に漏れない。

日経新聞で「『不確実性の時代』へ」という記事を見つけた(日本経済新聞2018年12月29日)。トランプ大統領の予測不能外交政策、AIに代表されるデジタル革命などなど。「不確実な時代に入ってゆく。リスクに備えよう。」という言葉で記事は締めくくられる。

 

たしかになー。国際政治学をかじった身としては、トランプ大統領が当選し、自由や人権や民主主義といったアメリカ的価値観を無視した外交を展開するなんてまったく予想できなかった。そうしたアメリカ的価値観を全開にした外交はそれはそれで煙たがられたのだけれど、それを無視する外交はそれに輪をかけて衝撃的。彼の外交政策に賛成するか反対するかはともかく、もともと活発だったアメリカ外交・安全保障政策研究はトランプ大統領のおかげでいわばバブルのようなもんだろう。あちこちでトランプ大統領外交政策を論じるシンポジウム、セミナー、研究会が開催され、テレビ番組や雑誌でも特集が組まれるのだから。

 

AIだってすごい。おれはがちがちの文系だからAIの技術的な側面はまったくわからない。それにもかかわらずAIにはかなり期待していて、早く人間の知能を追い越してAIが意思決定する世界を見てみたいと思っている。AIに意思決定を委ねるかはこれまた賛否両論わかれるテーマだけど、どちらの立場にせよAIなどのデジタル革命が画期的な出来事であることは認めるだろう。

 

だから、日経新聞の記事の内容自体にケチはつけない。

でも、少しケチをつけたくなる。というか、揚げ足を取りたい。

 

というのは、「不確実性の時代へ」と言うからには、今までは不確実性の時代じゃない、ということだ。

 

それはそれで別に構わない。どこまでが「確実性の時代」で、どこからが「不確実性の時代」かを区別する客観的な基準はないのだから。

それでもあえて揚げ足を取るのは、新聞や経済誌、もしくはそこに登場する識者たちこそ、いつもいつも「これからは変化の時代だ」、「今は予測不可能な時代だ」、「変化についていけないものは取り残される」って煽ってきた当の本人たちではなかったか。

 

一体いつになったら本当の「不確実性の時代」になるんだい、と揶揄したくなるじゃないか。

 

アマゾンで買える書籍だと少なくとも1978年からは「不確実性の時代」

そんなわけで、試しにアマゾンで「不確実 時代」で検索してみたところ、1月5日現在で59件がヒットした(カテゴリーは「すべて」)。

ヒットした中で最も早く出版されたのがカナダ出身の経済学者である、ジョン・ガルブレイスの『不確実性の時代』で、初版は1978年である。ガルブレイスは経済学を学んでいない私でさえ聞いたことのなる経済学の巨人である。Wikipedia情報だと本書は日本でベストセラーになったそうだ*1

 

不確実性の時代 (講談社学術文庫)

不確実性の時代 (講談社学術文庫)

 

 

また、当の日本経済新聞社自体が「1日30分達人と読むビジネス名著ー「不確実な時代」を生き抜く」という単行本を2012年に出版して、すでに2012年には「不確実な時代」に突入しているという認識を示している。

 

 

多くは2000年以降に出版された本だが、出版が昭和時代のものもちらほらある。いずれの本も読んだことはないから、何が書かれているかは知らないけれど、そもそも新聞や経済誌で「今は変化しない時代です」、「今は確実性の時代です」なんて言葉は見たことがない。

彼らは常に時代は変化し不確実だと言っているのである。そうでなければ、新聞や経済誌を読む必要なんてなくなる。情報をアップデートしなければならないのは変化に対応するためなのだから、変化しないのであれば情報のアップデートは必要ないし、情報を提供する新聞や経済誌のニーズはなくなるのだ。彼らは常にわれわれを煽るインセンティブを持っている。

 

 何も変化しない年はないし、確実に未来を見通せる年もないだろうから、彼らの予言が外れることはほぼないのだが、本当に彼らは「不確実(性)」という言葉が好きなんだなあ、と再認識させられたのである。

 

おしまい。

 

 

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