猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

幸福であるためにはツライ道を歩く覚悟が必要なのか??

 

岸見一郎『幸福の哲学』 

今回読んだのは、アドラー心理学で話題の岸見一郎氏の著作である。

 

幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵 (講談社現代新書)

幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵 (講談社現代新書)

 

  

自己啓発本を手に取る理由

自己啓発本を手に取るのは現状をよくしたいと思っているからだ。自分の能力を向上させたり、人間関係をどうにかしたり、自分の感情をコントロールできるようになりたいのは、そうすることで様々なストレスから解放され、(それが仮にあるとして)本来あるべき自分を獲得し、換言すればそうなることで幸せな人生を歩みたいと思うからだ。

 

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幸福であるというのはある時点での状態を指す。他方で、そこに至るまでの道のりやそれを維持するための努力はプロセスである。従ってある時点で幸福を達成しても、そこまでの道のりが幸福に満ち溢れているとは限らないし、一度ある時点で幸福になったとしても、その状態が永遠に続くことは約束されないとも考えられる。

 

幸福であるには、自分が自由意志に基づく選択でそれを成し遂げなければならない。しかし、自由意志に基づく選択が幸福をもたらすとは限らない。人間は選択に際してあらゆる情報を入手し、無限の時間を使って、あらゆる選択肢を検討して決定できるわけではない。それゆえ選択がうまく行くとは限らないし、むしろ失敗することのほうが多いかもしれない。

 

自分で選び、たとえそれが不幸を招いたとしても、その責任を自分で納得して受け入れるというのは大変なことだ。だからこそ、人はその責任を回避するために運命論を信じたり、外部のせいにしたり、他者に選択自体は委ねたりすると、岸見はいう。

 

自分で選ぶことにはリスクがあると知った人は、主体的に選択することを断念するか、ためらうだろう。そして、誰かが決めたことに従う。そうすれば、後に何か問題が起こったとしても責任を免れることができるからである。

自分で選択したことがうまくいくとは限らない。むしろ、うまくいかないことを予想するからこそ、自分では選択しようとしない人がいるのだが、私には、後になって実際うまくいかなくなった時、他者に選択を委ねたためにうまくいかなかったのでは、そのことに納得できるとは思われない。自分で選択したことであればこそ、どんな結末になってもそれを受け入れることができる。

(中略)

人は過去に経験した出来事や、まわりからの影響を受けるだけの存在(reactor)ではない。自由意志で自分の人生を決めていくことができる存在(actor)である。間違うことがあっても自分の人生を選び決められると考えることで、人間の尊厳を取り戻すことができるのだ(113-114頁)

 

尊厳と快適さと幸福感

しかし、尊厳と快適さが両立するとは限らない。たとえば日本がものすごい資源国だったとして、そして常に名君に治められるとして、誰も税金を払わず、社会保障はおろか、あらゆる公共サービスは無料で、日々の生活や娯楽まで政府が保証してくれる、しかし、その代わり政治への参加権はないと仮定しよう。

 

絶対に快適で、おそらく幸福感も得られよう。しかし、自分の生活にも関わりある政治に参加できないのはある種の自己決定権を奪われるのと同義であり、人としての尊厳を失うのだ、と主張する人も現れよう。

 

実利的な幸福と尊厳的幸福があり得ようが、後者はいってみればマトリックスの世界でモーフィアスに無理やり現実の世界に連れてこられたアンダーソン(ネオ)のようなものであり、尊厳はあるかもしれないが、快適な生活とは程遠い。

 

 

幸せになるために自己決定は必要だ。しかし、その決定が正しく行えるとは限らないという。いずれは幸福になれるかもしれないが、そこに至るまでには多くの自己選択が伴うのであり、おそらくは自己選択による失敗と苦痛も伴うのだ。仮に幸福というものがあっても、そこへ至るまでの道のりは辛く厳しいものになる。

 

その覚悟なく幸せを語るのは、むしろ幸せにたどり着けないことを言い訳に、いつまでも自分を甘やかす行為なのだろう。まだ本来の自分じゃないんだから、しょうがないじゃないかと。

 

幸せとは逃避の先にはなさそうだ。幸福になるには自分の選択を受け入れるだけの強さが必要なのだ。

幸せとは甘えや居心地のよさではなく、たゆまぬ努力と行動の先にしかないのやもしれない。

 

しかし、そうであればなかなか幸福までの道のりは遠いなぁ、と途方に暮れてしまう。「ただ阿弥陀如来の働きにまかせて、すべての人は往生することが出来る」とする浄土真宗的な幸福到達論はないものだろうか??

 

浄土真宗 - Wikipedia

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