猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

愚かな指導者にどうやって引導を渡すか—頑迷な現状維持派にはあえてアメを与えよ—

アセモグルとロビンソンによれば国家の経済発展をもたらす最たる要因は政治的・経済的制度であるという。

 

より具体的には自由民主主義のような包括的な政治制度と自由主義的な経済的制度を有する国家は発展し、対象的に権威主義的な収奪的政治制度や奴隷制や中央司令型計画経済といった収奪的な経済制度のもとでは、国家は発展できないとする。

 

したがって、国家が発展するには収奪的な制度から包括的な制度へと移行しなければならないが、これがそう簡単にはいかない。なぜなら、制度が異なるということは、国家が発展するかどうか、そしてその発展の果実をどう分配するか、誰が権力を握るかといったもろもろの要素で異なる帰結を生むためである。その結果、既存の既得権益層が権力を失う可能性があるため、既得権益層は仮にそれが国に発展をもたらすものだとしても、新たな制度の導入を拒むのである。

 

では、既得権益層が反対する中でどうやって包括的な制度を導入すればいいのか。

 

制度の変革は容易ではないとしながらも、アセモグルとロビンソンは以下の条件を挙げる。

 

まず、第一に、ある程度集権化された秩序が存在し、既存の体制に挑戦する社会運動が無法状態に陥らないこと。第二に、伝統的政治制度の中でも多元主義がわずかでも導入されていること、が制度変革に必要な条件として挙げられている。

 

しかし、包括的制度を信奉する制度変革側が圧倒的なパワーを持っていて、収奪的制度支持派の抵抗を乗り越えることができるのであれば苦労はないが、実際はそのパワーが伯仲しているか、多くの場合は収奪的制度支持派のほうがパワーを持っている(なぜなら収奪的制度支持派が現在の政府を担っているため)。

 

また、仮に包括的制度を支持する現状変革派のほうがパワーが大きくても、制度変革に大きな抵抗が予想される場合、多大な犠牲を払わなくてはならないかもしれない。

 

そのため、可能な限り制度変革は穏便に進めたいわけだが、それにはどうすればいいのか。

 

その一つのカギが「安心供与」である。安心供与とは、現状変革によって権力や利益を失うことを怯える相手に対して、一定の権力や利益の保全を約束することで現状変革に同意させることを指す。

 

包括的制度によって国全体や国民の厚生が増大することが明確であれば、その制度を採用するほうが合理的である。それでも、そうした制度が採用されないのは、収奪的制度の現状で恩恵を享受している既得権益層は新たな制度のもとでは利益が失われることを怯えるからにほかならない。

 

包括的制度を信奉する現状変革派のほうが圧倒的なパワーを持っているのであれば、抵抗を気にする必要はない。現状変革に同意しないのであれば、力づくで屈服させればいいだけの話だからである。

 

しかし、それができないのであれば、相手に一定の利益や権力を提供することで相手の懸念を払拭させ、現状変革へ同意させることができる。

 

もちろん現実はこれほど単純にことは進まないだろうし、頑迷な収奪的制度支持派に利益や権力を供与するなんて、心理的にも納得しがたいところがある。

 

しかし、包括的制度を導入するという大目標を可能な限り低いコストで成し遂げようとするのであれば、現状維持派には穏便に表舞台から退いてもらう必要がある。そのときに、積年の恨みとばかりに収奪的制度派を処罰したり虐待するようなことが予想されるのであれば、彼らは必死に抵抗するだろう。

 

収奪的制度支持派は現状から恩恵を受けているから現状を支持するのはもちろんであるが、それ以上に現状が変革されるとそれによって多大な不利益を被る(場合によって命も取られる)という怯えがあるからこそ現状変革に踏み出せないという側面がある。

 

包括的制度支持者がいかに収奪的制度を支持する現状維持派に安心を供与できるか、それが制度変革をスムーズに進める政治的な知恵であるように思う。

 

参考文献

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』早川書房、2013年

S.P.ハンチントン(坪郷實・中道寿一・藪野祐三訳)『第三の波—20世紀後半の民主化—』三嶺書房、1995年