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なぜわれわれは不満なのか—歴史認識を考える—

第2次世界大戦の敗戦後、米国を中心とする連合国によって日本の政治指導者の戦争犯罪が処罰された。確かにそれは罪刑法定主義に反するなど、法的には多くの問題を抱えた裁判ではあったが、それでも、サンフランシスコ平和条約で日本への賠償を役務に限るとしたことなど、日本に対する責任追及は、少なくとも第1次世界大戦時のドイツに比較するとずいぶんと寛大な処置であった。

 

なぜこのような寛大な処置になったのかといえば、そもそも当時の日本に金がまったくなく損害賠償を支払う能力がなかったこともあるが、それは以上に第1次世界大戦後にドイツに課した損害賠償額があまりに巨額で、かえってそれがドイツを追い詰め、ナチスの台頭を許し、ひいては第2次世界大戦の一因になってしまったという反省が連合国側にあったからに他ならない。

 

吉田茂首相など当時の日本の指導者が、役務による賠償方式は日本の販路開拓にもつながるのであり、賠償とはいえ日本が再び経済的に発展するための必要経費だと述べていたことは、連合国の処置が寛大だったとの認識が当時の日本政府にあったことを意味している。

 

では、今のわれわれは連合国の処置が寛大であったと深く感謝しているか、と言われれば、否、と答えざるをえない。自主憲法論や戦後の謝罪疲れ、従軍慰安婦南京大虐殺等をめぐる歴史認識問題などを見ると、むしろ米国が主導して築いた国際的な戦後秩序に対して今の日本では反感のほうが強いのではないか。いや、多くのサイレントマジョリティは戦後秩序には満足していて(私も満足組である)、表に出てくる声だけを拾うと、戦後秩序への反発は強くなっているように感じられる。

 

連合国、というか米国が寛大な処置になるよう奔走したにもかかわらず、結局日本は連合国の処置に感謝することはなかった。第1次世界大戦後のドイツを反省に日本を追い詰めないように寛大な処置にしたというのは論理的にはもっともで、そして確かに日本が再び戦争をせず、そして今後も少なくとも日本から戦争を仕掛ける可能性が限りなく低いことを踏まえると、経験的にもその処置の正しさは証明されていると言ってよい。

 

日本が再び戦争をしない、という東アジアの国際秩序の安定という目的は達成できたが、それでも戦後秩序への日本の支持を獲得するまでには至らなかった。少なくとも日本が第2次世界大戦時に戦争相手国に与えた損害に比べればはるかに甘いともいえる処罰であったにもかかわらず、日本の中で不満が高いことが歴史認識の問題の難しさを示しているといえる。

 

では、なぜわれわれは不満なのか。

 

その原因を探る一助になるのが、これまでのブログの記事でも何度か紹介した心理学のプロスペクト理論である。

 

プロスペクト理論では何を獲得したか(利得を得たか)、何を失ったか(損失が発生したか)の判断は、「参照基準点」によって決まるとされる。参照基準点を基準にして、そこから新たな利益を得れば「利得」を得たと認識され、反対に何かを失えば「損失」が発生したと認識されることとなる。

 

しかし、この参照基準点は客観的な基準に基づいて定まるのではなく、本人の認識によって決まる点が厄介である。特にプロスペクト理論では、人は利得を得たときはすぐにそれを当たり前の状況(参照基準点)と認識する一方で、失ったときでもすぐにその状態を受け入れない(参照基準点にしない)とされる。

 

このように、人は何かを得ると最初は満足したり、感謝したりするかもしれないが、すぐにそれは当たり前の現状と認識され、満足感や感謝の念は忘れられてしまう。

 

日本は米国の主導する戦後秩序の恩恵を最も享受した国の1つだろう。ドイツのように東西に分裂させられることはなかった。日本の戦争責任を追及する声の中には昭和天皇戦争犯罪を問うたり、日本が再び戦争ができないよう経済的にも低発展状態にとどめておくべきといった、より苛烈な処罰を求める声も多かった。それは米国国内もそうだし、豪州や東南アジアなど戦争や日本の統治によって大きな被害を受けた国々ではとても反日感情が強かったのである。それを超大国である米国がとりなして寛大な処罰へと落ち着いたのであった。

 

米国によって導入された民主主義や資本主義は間違いなく日本の発展に寄与した。国際的な通商レジームなど米国が提供する国際公共財の利益を日本は享受した。客観的に見れば、日本は米国や連合国、そして彼らが提供する国際秩序にもっと満足感を感じても不思議ではない。

 

しかし、心理学的には利得はすぐに当たり前のものと認識され、感謝や満足の念はあっという間に霧散してしまう。

 

さらに現在では戦後秩序と今日の日本の低迷が因果的に結びつけられて認識されるようになってきているように思われる。資本主義や自由主義によって日本に伝統的に存在していた道徳観や共同体が破壊されてしまったとか、自虐史観を植え付けられて自信を喪失してしまったとか、押し付けられた憲法を改正すべきとか。あたかも戦後に米国から導入された価値観や制度がなくなれば、再び本来あるべき日本が復活する、と言わんばかりである。

 

日本は戦後秩序から恩恵を受けているのだから、本来であればもっと戦後秩序に満足し、そして感謝してしかるべきであるが、心理学的にわれわれは戦後秩序の恩恵は当たり前の現状と認識する一方で、現在発生している諸課題(特に道徳や共同体といった価値や理念に関する要素で一層)は戦後秩序によって引き起こされていると因果的に結びつけられることで、戦後秩序とそれをもたらした米国の政策にむしろ反発を強める結果となっている。これは米国の政策決定者も想像していなかったことであろう。さらにいえば、第2次世界大戦の歴史認識をめぐる問題や対立が、戦争終結から70年を経ても残存していることは想像できなかったであろう。

 

では、米国や連合国はどうすべきだったのか。恐らく、あれ以上にバランスのとれた処罰方法はなかったであろう。

 

米国の中にも日本を自陣に入れる観点から、日本の処罰に反対する意見もあったらしい。しかし、あれほどの被害を引き起こした日本の責任を全く問わないということは政治的にほぼ不可能だっただろう。

 

戦争を引き起こした国を秩序の安定という観点から不処罰にした事例は世界には存在した。その代表例がナポレオン戦争後のフランスである。フランス革命を「輸出」しようとして欧州全体を巻き込む戦争を引き起こしたフランスに対して、当時の大国であるオーストリアや英国はフランスを処罰するのではなく、欧州の秩序の担い手の一員として招き入れることを選択した。当時は戦争は違法ではなかったので、そもそも法的、倫理的に戦争の責任を問うという発想があまりなかったこともあろうが、それ以上に欧州の秩序を安定させるためにはフランスという大国が再び秩序の支持者になり、秩序の構成メンバーになってくれる必要があったからである。

 

しかし、秩序の安定を優先して日本を不処罰にするという選択肢を連合国が選択することは不可能であったろう。その最たる要因が、民主主義の普及である。ナポレオン戦争終結時の19世紀初頭には世界に民主主義国は存在しなかった。政治や外交はエリートが担ったのであり、そのため、大衆の声を無視して合理的判断に基づいて外交を遂行することは可能であった。

 

だが、第2時世界大戦時は違った。米国をはじめ主要な連合国は民主主義国であったから大衆の処罰感情を無視することはできなかった。そもそも武力紛争自体が違法化されつつある時代であり、第2時世界大戦自体、反全体主義の戦争として善と悪の戦いと認識されていたから、悪事を働いた国を全く処罰しないということは政治的に不可能だっただろう。むしろことの成り行きを見れば、より厳しい処罰が日本に課せられた可能性は十分あったのであり、処罰はするものの寛大な処罰にとどめる、というのが最もバランスがとれた恐らく唯一の方法だったに違いない。

 

米国の築いた戦後秩序は日本にとって有益なレジームである。われわれとしては不満もあるが、客観的に見れば、より苛烈な処罰の可能性もあり得たことを踏まえ、戦後秩序の利点により目を向けるべきであろう。どんなに不満があっても戦後秩序から抜け出すことが日本にとってプラスになるとはとうてい思えないのである。

 

いかがでしょう?

 

参考文献

大沼保昭『「歴史認識」とは何か』中公新書、2015年。