猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

で、結局戦後とはなんだったわけ?(1)—嫌われものの戦後を好きになるには—

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安保法制や憲法改正をめぐって護憲派の旗色が悪い。憲法9条を擁護しようものなら、お前は売国奴か、国際情勢がわかっていない愚か者か、平和ボケか、ネトウヨから相当な罵詈雑言を浴びてしまう。

 

メディアやネットニュースのコメント欄を見れば、安保法制反対を唱えたSealds(自由と民主主義のための学生緊急行動)には相当強い批判が寄せられている。首相に「バカ」と言ったりちょっと口汚かったりして無用に批判を煽ったところもあるが、相当な嫌われようである。

 

右寄りな人がSealdsや9条を擁護する憲法学者に否定的ななのは、まぁ、よくわかる。しかし、サイレントマジョリティの多くは憲法を支持していると私は思っているし、そして私も9条を含めて憲法を支持しているが、それでもSealdsや憲法学者の主張に心から賛同できるかと言われれば、留保せざる得ない。

 

やっぱりSealdsや憲法学者の主張って「絵空事」だよねっていう感覚が拭えないからだ。

 

在特会在日特権を許さない市民の会)のようなレイシスト的な右は下品でイヤだが、さりとて護憲派も上辺だけの胡散臭い感じがするという大多数の人びとの疑問や不満に右も左も有効な回答をくれていない。

 

護憲派憲法9条を改正すると日本が戦争をする国になるというが、9条的な憲法の存在と武力紛争との因果関係はよくわからない。ウプサラ大学の紛争データベースを見ると、少なくとも統計的には戦争や武力紛争の発生件数は減少していて、特に国家間の武力紛争である戦争にいたっては今日ではほぼ存在しない。

 

しかし、それは世界中に9条的な憲法が増えてきたからではない。国際法レベルでは国連憲章第2条4項が武力行使を禁じているが、憲法レベルでは9条のような武力行使の放棄を定める憲法は増えていない。それでも世界から戦争の数が激減したということは、9条的な憲法と戦争との発生には因果関係がないことを示している。

 

したがって憲法9条の改正と戦争するかしないかについては、因果関係はおろか相関関係させなさそうであるが、護憲派憲法9条改正と戦争の蓋然性との因果関係をきちんと説明してくれたりはしない。

 

また、こうした問題に護憲派が解を提示してくれないということに加えて、「民主主義」とか「自由」とか「平和」といった憲法が掲げる理念に対するどこか胡散臭さを感じる人は多いのではないか。戦争を経験した世代は身をもってその重要性(特に平和)を理解しているが、そうでないもっと若い世代はもう少し冷めているのではないだろうか。

 

民主主義や自由、平和という価値観に反対という意味ではない。そうではなくて、民主主義や自由、平和って日本人的な価値ではなくて、敗戦によって他者から否応なく認めさせられた価値観じゃない?っていう意味だ。

 

日本はアジアの中でも早くに民主主義国になった国だ。だから、われわれは胸を張って自由民主主義国ですって言ってもいいと思うのだが、対中国戦略の一環で価値外交を進める上で日本が民主主義や法の支配を信奉する国だってアピールすることはあっても、日本人自身がそれらの価値観を日本のものとして内面化しているかといえば、ちょっと心もとない。その点、(人口という意味で)世界最大の民主主義国インドのほうがよほどわれわれは民主主義国だって自信に満ちているように見える。

 

やはり民主主義とか自由とか、平和って借り物感が拭えないのだ。

 

幕末・明治の志士たち、すなわち、坂本龍馬勝海舟西郷隆盛大久保利通伊藤博文高杉晋作たちの人気は根強い。なぜなら、明治維新はわれわれ日本人の手で成し遂げたと胸を張って言えるからだ。自分たちで国づくりをしたって自信満々に言えるのは幕末・明治まで遡らなくてはならないのだ。だからこそ、右寄りの人は戦前の日本への憧憬があるのだろう。

 

反対に第2次大戦後、日本の復興に尽力した日本人を挙げるのは難しい。吉田茂はよい。すぐに名前が挙がる。しかし、その次になると途端に難しくなってくる。幣原喜重郎東久邇稔彦片山哲芦田均重光葵などなど、幕末・明治の志士に比べると知名度の低さは圧倒的である。尊敬する偉人に坂本龍馬が挙がっても、幣原喜重郎を挙げる人はよほどのマニアだと思う。

 

実際、日本テレビで放映された「超大型歴史アカデミー 史上初!1億3000万人が選ぶニッポン人が好きな偉人ベスト100」(2006〜2007年放映)では、幕末・明治の偉人は、坂本龍馬土方歳三西郷隆盛高杉晋作近藤勇大久保利通沖田総司勝海舟吉田松陰伊藤博文らが入っている一方、敗戦直後の政治家は吉田茂ただ一人である。戦後政治家の存在感は限りなくゼロに等しい。

 

現在の日本の礎を築いた敗戦直後の政治家の存在感が薄いことは、戦後という時代を日本人自身がイマイチ自分たちが築いてきたものと意識しきれていないことを象徴しているように思える。

 

過ぎたことを悔いてもしょうがないし当時の時代背景を鑑みれば他に選択肢はなかったのだが、米国によって日本の戦後体制が構築されたのは大きな問題だったのだろう。戦争犯罪の裁判も日本人自身がやるべきだった。むちゃくちゃな憲法でもいいから日本人の手によってつくって、それで失敗すればよかったのかもしれない。

 

そういう意味では民主主義への自信という面では日本よりも韓国のほうが強そうな気がする。韓国は戦後開発独裁の時代を経験し、1987年に国民の直接投票による大統領選挙を導入することで民主化を実現する。そのため韓国は自らの手で民主化を成し遂げたといえ、日本人よりも民主主義を内面化している可能性はある。

 

鈴木安蔵ら左派のインプットがあったとはいえ、憲法GHQ主導で作成されたのは間違いない。そもそも鈴木安蔵らが意見を言えたのもGHQが占領していたからであって、戦前に左派が憲法案について物申すことは不可能であった。どのようなアイデアを採用するかの生殺与奪の権利はGHQに委ねられていたのである。

 

私的には戦後多くの日本人は憲法を支持してきたので、われわれの意思で事後的な承認を与えてきたと思っている。しかし、GHQ主導であったことが、今の憲法がどこか日本人のものじゃない感じを生み出してきたことも間違いない。

 

別にこれは日本人特有の感情ではない。たとえば、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所ICTY)がそれだ。1990年代初頭の旧ユーゴ紛争後、国際人道法違反を裁くためにICTYが設立された。旧ユーゴ紛争(ボスニア紛争)ではセルビアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナが紛争当事者であり、紛争は最終的に北大西洋条約機構NATO)によるセルビア空爆によりセルビアが停戦を受け入れ終結する。スレブレニツァの虐殺など相対的にセルビアが加害者として認識されたため、多くのセルビア人が訴追されている。ICTYセルビア人が受け入れているかといえば、そんなことはなくICTYは勝者による不公平な裁判であると認識されている。

 

旧ユーゴ紛争のように外部からの武力介入がないまでも、冷戦終結後は内戦が終結した国に国連等の国際機関や外国が関与して民主化が進められることが多い。カンボジアモザンビークコソボシエラレオネなどなど。しかし、これらの国で民主主義が根付いた国はない(もちろん民主主義の定着には何十年もかかるだろうから評価するには時期尚早という面もあるが)。カンボジアモザンビークは秩序は安定しているので、内戦からの復興(平和構築)の成否という面では成功例といってもいいと思うが、民主化が進んでいるかと言われれば、ちょっと厳しい。

 

やはり外部主導の民主主義の定着は難しいのか、と悲観的になってしまう。

 

しかし、現在存在する政治体制のうち自由民主主義に優るものはないのであって、憲法を改正しようがしまいが、われわれは戦後体制に付き合い続けなければならない。先述のとおり、たしかに今の憲法GHQ主導でつくられたものだが、一方でわれわれ自身が支持してきた一面もあるはずだ。その戦後を「外部から押し付けられてしょうがなく受け入れた時代」と切り捨ているのは少し寂しい。戦後をどう捉えるべきか、もう少し考えてみたいと思う。