猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

日欧EPA〜サイドペイメントによるウィンセットの拡大〜

 

 

日欧EPAの大筋合意成立と発効できずとも意義のあったTPP 

日欧EPAが大筋合意に至った。保護主義が蔓延する中でこのような合意に至ったのは素晴らしい限りである。

タリフラインベースで自由化率が95%を超えるようで、TPP以来、日本のFTAの自由化率が95%超えが当たり前になったように思われる。既決のFTAの自由化率は90%を下回っていたから、ようやく日本のFTAFTAと呼ぶに値する水準になったといってよい。

 

逆に言えば、あるFTAの水準は他のFTAに波及すると考えられ、高い自由化率を警戒する人々からすると、仮にその産業に大した影響がないとしても、他のFTAへの波及を恐れて高い自由化率に反対する動機を持つことになる。あるFTAで高い自由化率を設定した場合、なぜ他のFTAではそれが出来ないのだ、不公平だ、と相手国なら要求された場合、その主張に抵抗することは難しくなる。ゲームのルール自体が変わってしまうのであり、現行のルールを望む立場からすれば、ゲームのルールを根本的に変更することに強く反対する。(アメリカを含むかたちでの)TPPの発効はほぼ不可能であるが、それでも日本のFTAのルールを変えたという意味で、TPPの妥結は日本のFTAのあり方を考える上で非常に有意義であったといえる。

 

 交渉が難航したのは、日本側は農業、特にチーズ、EU側が自動車の関税撤廃・削減であった。欧州産のチーズは日本でとても人気だから、関税が下がればわれわれ消費者にとってとても嬉しい話だが、反対に生産者からしてみたら人気者だからこそ競争相手として大きな脅威ということになる。それはEU側の自動車もしかりだ。日本車はとても競争力がある。それゆえにEU側も自動車の関税引き下げを渋るのである。

 

従って日本国内であればJAがこのFTAに反対であり、チーズの関税削減には慎重であるようしきりに政府に要求していた。本日(7月6日)の「日本農業新聞」もチーズの無税輸入枠を3万トンにしたとしても(EUの要求は6万トン)、国内生産の6割にあたり、EUの乳価は北海道のそれの半分程度と安いため、安価なEU産チーズに国内市場が奪われかねないと懸念を示している(「日欧EPAチーズ交渉 要求半減でも影響大」『日本王業新聞』2017年7月6日)。

 

農業セクターが日欧EPAに同意した要因〜ツーレベル・ゲームによる説明〜 

最後は政治決断で大筋合意に至ったわけだが、農業セクターが一人負けしたかといえばそうでもない。早くもFTAによる負のインパクトを緩和させるための支援策が検討されている。ちなみにGATTウルグアイラウンドが成立したときは6兆1000万円の対策費、TPPのときも6000億円の支援が用意された。

裏を返せばFTAが成立しても、同時に補助金が期待できるからこそ、最終的に農林族議員やJAも折れることができるといえる。農林族議員やJAは交渉中は盛んに反対することで、農家のために全力を尽くしているように装えるし、尽力虚しくFTAが成立してしまっても、多額の補助金を獲得しました、と胸を張って言える。

 

こうした補助金はサイドペイメント(協力したことによる報酬)と呼ばれるものである。FTAの合意を成立させたい立場からすればサイドペイメントという誘引によるパワーを行使することで自身の望む政策を実現できるのであり、反対派の同意を獲得するための重要な手段の一つといえる。

 

外交政策とは、石田淳の言葉を借りれば「国家の間での対外政策の選択のマクロ性」と「国内における対外政策の選択それ自体のマクロ性」の二面性を有する(石田淳「国際政治理論の現在(下)ー対外政策の国内要因分析の復権ー」『国際問題』No.448, 1997年)。

その両方を同時に分析する枠組みがロバート・パットナムのツー・レベル・ゲーム論である。ツー・レベル・ゲームとは外交交渉は、相手国政府との交渉という第1レベルと、国内における利害調整という第2レベルの、二つのレベルでの交渉が同時並行的に進むとする理論で、政府は相手国政府のみならず、国内で合意に反対する勢力からの同意を獲得しなければならない。国内からの同意を獲得しつつ、相手国政府にも許容できる範囲、すなわち外交交渉の合意成立が達成できる範囲を「ウィンセット(win-set)」と呼ぶ。ウィンセットの幅が広いほど外交交渉の合意が成立しやすくなるが、国内に反対派を抱えているほうが、相手国の譲歩を引き出せるとパットナムは主張する。

 

ウィンセットが幅によって合意成立が容易となったり、自国有利の妥結が可能となるため、政府はウィンセットの幅を調整しようとする。国内の反対派からの同意を獲得してウィンセットを広げるための手段の一つがサイドペイメントである。反対派は合意そのものからは不利益を被るため反対するが、合意が成立してもそれを埋め合わせるための対価を得られるなら、合意支持に転換しうる。サイドペイメントは同意獲得のための重要な手段なのである。

 

今回のEUとのFTAでも、日本政府は養豚農家への補填金の割合を8割から9割に引き上げるとか、木材の競争力を高めるための加工施設や林道整備費用を助成するとか、そういった支援策が検討されている。最終的にはもっと大きな農業支援策ができることだろう。

 

JAは日欧EPAに強く反対してきた。それでも最終的に大筋合意妥結にこぎつけることができたのは、自由貿易の大切さが広く認識されるようになったという背景はもちろん重要であるが、サイドペイメント(補助金)を挙げることによってJAの同意獲得が可能となったからであると考えられるのである。