通商問題の政治学

通商問題がどのように発生し、そしてどのように合意が成立するのか掘り下げてみたくていろいろ考えてみることにしました

メディアの議題設定効果とFTA締結への影響

 

TPPが頓挫して

トランプ大統領が撤退の大統領令に署名したことで、環太平洋パートナーシップ(TPP)が事実上のご破算となってはや2ヶ月。TPPへの賛否はあれど、あれほどまでに苦労して妥結した協定がこのようなかたちで葬り去られようとは交渉妥結当時、いったい誰が想像したであろうか。

 

大統領選挙の最中からトランプ氏はもとより、民主党候補のヒラリー氏もTPPには否定的な立場であったから、批准プロセスの難航は予想されていたが、実際に撤退の大統領令が署名された衝撃は大きい。

 

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トランプ氏の外交政策、すなわち中国に対する強硬的な姿勢からすれば、TPP批准はむしろ利益になるべきものであった。TPPには単に貿易自由化という側面のみならず、中国に対抗するための自由民主主義国や資本主義国の事実上の同盟という側面もあったからだ(両方に合致しない国も加盟はしているが)。それにもかかわらず彼がTPPからの撤退を決めたということは、彼は対外政策にはさほど関心がなく、国内の雇用や移民対策のほうにより関心があるということなのかもしれない。

 

トランプ大統領は多国間のFTAではなく、二国間での交渉を望んでいるようだ。二国間のほうがより米国のパワーを使って自国に有利な交渉にできるということなのかもしれないが、北太平洋自由貿易協定(NAFTA)や米英FTA、そして日米FTAなどの重要なFTA交渉が待つなかで、これだけの重要なFTAを同時に進めていけるだけの十分な専門知識を持つ職員が十分に USTRにいるかといえば、そうではないだろう。そのため、仮に大統領が二国間交渉を急ぎたくても現実的にそれを可能にする十分な人的資源はないと考えられる。

 

マスメディアが政策争点に与える影響

さて、今回読んでみたのは谷口将紀氏による『政治とマスメディア』だ。 

 

 

これは通商に関する本ではないが、今回の大統領選の特徴は、通常通商問題が選挙の争点にならない米国において、TPPが争点の一つになった点であり、そもそもある政策が選挙の争点になるかどうかはどのような力学に基づいて決まるのかを考えてみたいからだ。

 

当たり前だが選挙の争点になるにはその問題が注目されなければならない。通商問題ならなんでも注目される争点になるかといえばそうでもない。

 

日本でもTPPは大きな話題となり、賛否両論が吹き荒れた。しかし、日本が締結したFTAはこれが最初ではない。初めてのFTAシンガポールと2002年に締結したものであり、その後メキシコや東南アジア各国、オーストラリア、モンゴルなどと締結してきた。オーストラリアとのFTAはTPP交渉中に妥結し、TPP交渉で米国を牽制する意味合いも期待されていたし、農業国とのFTAという点でも他のFTAに比べると注目されたような気がしないでもないが、基本的に過去のFTAは注目されてこなかったし、まして選挙の争点にならなかった。

 

今回、TPPが注目されたのは、多国間のFTAであり、何より米国という日本にとって安全保障上も経済上も最も重要な国を含むFTAだったからであり、とはいえ米国は日本に最も外圧をかけてくる国と認識されているからであり、そして日本は米国の外圧にこれまで散々屈してきたという思いがあるからと考えられる。

 

当然、メディアでの取り上げ方も過去のFTAの比ではない。メディアで取り上げられれば、それだけ多く人が問題の存在を知るようになる。問題の存在を知り、かつそれが重要な問題なんだと報じられれば報じられるほど、われわれはその問題を重視し、ときにはそれを投票の際の判断基準にするだろう。

 

メディアの持つ影響力としてよく挙げられるのが、議題設定効果とプライミング効果である。

 

議題設定効果とは、

 

議題設定とは、公共に関わる様々な出来事や争点の中で、人びとが何を重要と考えるかという点について、影響力を及ぼすことである。例えば、マスメディアが特定の政策争点について、賛成または反対の立場を取らなかったとしても、それを繰り返し取り上げるうちに、人びとの当該争点に対するする関心が高まることがある(谷口、46頁)

 

一方、プライミング効果とは、

 

議題設定によって、人びとに重要と認識されるようになった問題は、それ以降の政治ー政府、大統領、内閣、首相、政策、候補者などーに対する判断材料となりうる。例えば、テレビが核廃絶問題を集中的に報道して、人びとの核問題に対する関心が高まったとしたら、核戦争が起きるリスクを減らせたかどうかによって、人びとは大統領の業績の良し悪しを判断するようになる。同様に、経済問題に関する報道が多かったら、人びとは経済的繁栄を維持できたかどうかによって、大統領の業績を測るようになる。このように、マスメディアがある事柄に注目させる(あるいは注目をそらす)ことによって、人びとの政治判断の基準を変える効果は、プライミングと呼ばれている(谷口、49頁)

 

ちゃんと新聞の記事数を確認したわけではないが、TPPに関する記事数が他のFTAよりも直感的に多そうだし、おそらくこの直感は外れていないだろう。

 

メディアと大統領選挙の結果

最近は新聞を読む人と減ったというし、米国の大統領選では主要メディアの信頼度が低下して、むしろTwitterといったSNSが影響力を持ったとされる。こうしたトレンドについてはさらに調べてみないとなんとも言えないが、どういう媒体であれ、何らかのメディアを通じて問題がクローズアップして争点化されない限り、注目されず選挙の争点にもなり得ないという基本的なメカニズムには変化がないといえる。

 

ただ、これまではメディアが間に入ることで、良くも悪くも情報の選別がなされていたわけで、SNSであれば、発信者から受信者にダイレクトに情報伝達が可能となる。メディアの議題設定効果とプライミング効果は依然として残るが、誰がそれをやるか、すなわち新聞やテレビといったマスメディアがやるのか、それとも発信者自らがそれをやるのかが大きな変化といえる。

 

またメディアに議題設定効果やプライミング効果があるとはいえ、それはあくまで問題への関心を高める効果であり、それが当該問題への賛否をどう決定するかは別に検討する必要がある。

 

今回の大統領選では特に共和党員の間で自由貿易への支持が減退し、保護主義支持が拡大した(2009年は57%の共和党支持者がFTAが米国にとって良いことと答えたが、2016年10月には24%にまで減少し、反対に悪いことと答えた人は68%になった*1。伝統的に共和党自由貿易支持とされてきたから、この動きは特筆に値するが、情報に接した結果、受信者の当該問題に対する態度がどう影響を受けるかは興味深い論点である。

 

TPPをめぐって経済学者は、自由貿易は国全体の経済厚生を引き上げると主張していたわけだから、TPPを知ることによって自由貿易への支持が高まってもおかしくはないはずだ。たとえば、ブランダイス大学のPetriとジョンズホプキンス大学のPlummerは、TPPによって米国の年間実質所得は約1300億ドル、輸出は約3600億ドル増加すると予測していた*2

 

にもかかわらず、今回の大統領選では自由貿易への支持は減少した。どのようなメカニズムによって、受信者の態度形成がされるかは今後考えていきたい。

 

冒頭の繰り返しになるが、二国間交渉は難航が予想される。米国側でも多方面で二国間交渉をするだけの人材確保は大変であり(さらに言えばNAFTAの再交渉もある)、アメリカファーストを掲げるトランプ大統領が輸入拡大につながりかねない譲歩をするとは考えられない。少なくとも今後4年間は米国が関わる自由貿易交渉は進まないだろう。もし可能性があるとすれば、米国抜きでのFTA網が構築され、競争力低下を恐れる米国産業界が政府や議会に圧力をかけ、それがトランプ大統領の翻意を促すというシナリオであろう。

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*1:Pew Research Center, "Opinions on U.S. international involvement, free trade, ISIS and Syria, Russia and China," 27 October, 2016, http://www.people-press.org/2016/10/27/7-opinions-on-u-s-international-involvement-free-trade-isis-and-syria-russia-and-china/#increasing-gop-skepticism-toward-free-trade-agreements

*2:Peter A. Petri and Michael G. Plummer,"The Economic Effects of the Trans-Pacific Partnership: New Estimates," Working Paper 16-2, 2016, https://piie.com/publications/working-papers/economic-effects-trans-pacific-partnership-new-estimates.