政治猫

猫が政治と戯れています

鳥越氏にはリベラル勢力の恥の上塗りをしてほしくなかった

「だから来るところまで来たなというのが僕の実感。その中でリベラル勢力は何してんのか?と。何もしてないわけだよ」

 

というのは、都知事選を振り返った鳥越俊太郎氏のハフポスト紙における、日本のリベラル勢力に対する評価である。

 

「『戦後社会は落ちるところまで落ちた』鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】」『The Huffington Post』2016年8月12日 

 

彼に対する読者コメント欄の否定的な意見の多さは、昨今の日本のリベラル勢力の人気のなさを象徴しているけど、リベラル勢力は何もしていなくて、何かをせにゃならん、という彼の心意気はありなんじゃないかと思ったりもする。

 

しかし、だからこそ言いたい。なぜ日本のリベラル勢力の恥の上塗りをする選挙戦をしたのか、と。

 

ハフポスト紙の彼のコメントもかなり情けないものだが、すでに多くの人が批判しているように、待機児童ゼロ、待機高齢者ゼロと原発ゼロ、三つのゼロ、非核都市宣言といった、都の管轄外の政策や都民の優先順位の低い政策を掲げていたのもとてもよろしくない。

 

統計上は国家間の戦争がなくなり、武力紛争において内戦とそこからの復興(平和構築)が国際的な重要課題になったり、中国の東・東南アジアへの進出、北朝鮮のミサイルおよび核実験だったり、そういった国際情勢の変化があったにもかかわらず、相変わらず自衛隊の海外派遣反対!憲法9条反対!ばかりを繰り返す、外部環境にまったく関心を払わない(もしくは適応できない)日本のリベラル勢力の政治オンチさを鳥越氏も示してしまった。

 

参議院選挙で改憲勢力議席の3分の2をとった結果に対して、「日本の戦後社会はここまで来たか。落ちるところまで落ちたな。これはもう、いよいよダメだなと思いました」と鳥越氏は言う。

 

あたかも悪いはリベラル勢力ではなく、それを理解しない国民だ、と言わんばかりである。確かに戦後社会も落ちるところまで来ているのかもしれないが、それはそれとして、同時に彼に考えて欲しいのは、なぜリベラル勢力がこれほどまでに信頼を失っているのか、ということだ。

 

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マーク・マゾワーの『暗黒の大陸』は、ヨーロッパにおける民主主義の正統性の変遷を扱った著書である。

 

マゾワーによれば、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の戦間期、民族や階級間の対立が激化し、人々はナチズムやファシズム全体主義を含む権威主義的な政治体制を信頼するようになったとする。

 

当時のヨーロッパ諸国の政党は分裂し、2000年代の日本も驚くほど短期的な政権交代が発生していた。マズロー曰く、1918年以降、ヨーロッパで内閣存続期間の平均が1年を超える国はほとんどなく、こういった弱体化した政府では、憲法や政党綱領で約束した社会経済改革を推し進めるのはほとんど不可能であった。

 

こういった政治社会情勢では民主主義の象徴ともいうべき議会に期待することは難しく、人々は執行権の強化を求めるようになる。

執行権強化は、民主主義や憲法を破壊するのものではなく、政治の有効性を確保することで、民主主義の正統性を維持しようという試みである。しかし、議会の麻痺を補おうと執行権を強化していくと、どの時点で民主主義が終わり、独裁制に移行するのか、その境界線は曖昧になってしまう。

 

当時のドイツ(ワイマール共和政)の憲法では、議会が麻痺したとき、大統領が緊急時に立法権限を行使できるという緊急令が認められていたが、緊急令が頻用されると、いくら憲法で認められた権限といっても、独裁制ではない、と否定するのは相当に困難となる。

 

こうした議会の麻痺とそれに対する人々の不信、一方で膨らむ執行権への期待が、徐々にナチズムを許容する土壌となっていくのである。

 

ナチズムは極端な例だとしても、そもそもこうした極端な政治を受け入れる用意ができていたのは、当時の民主主義への不信感であった。第一次世界大戦が終わり、政治経済体制を早急に回復させなければならないにもかかわらず、議会が混乱し、一向政治が前に進まなければ、議会とそれを理論的に支える民主主義を信頼せよ、と期待するほうが無理難題というものだ。

 

もし、日本のリベラル勢力から見て、今の日本(安倍政権の一強体制)が異常だというのであれば、なぜ異常が受け入れられているのかをしっかり考えなければならない。確かに当時のドイツ国民はよもや執行権の権限強化がナチズムに利するとは想像していなかっただろうから、極端な政治を受け入れるのは国民が愚かだからという評価も的外れではないだろう。しかし、国民は愚かだ、と批判しているばかりではリベラル勢力が懸念する事態を回避することはできない(当時のヨーロッパも国際法学者のケルゼンやフランスの自由主義者のバッシュらは民主主義を擁護したが、そういったエスタブリッシュメントの意見が世論に浸透することはなかった)。

 

鳥越氏ら、戦中や敗戦直後に生まれたり、育った世代は直感的に戦後政治とそれを象徴する平和主義や民主主義を素直に受け入れることができるだろう。なぜなら、戦中の軍国主義は国内外に多くの不利益をもたらし、国民は政治によって多大な犠牲を支払わされたからだ。軍国主義に正統性も有効性もないのは明白であった。それゆえ、軍国主義を否定する平和主義や民主主義の正統性を皆直感的に理解することができたのだ。

 

しかし、今の30代以下、第一次就職氷河期以降の世代は、そこまでナイーブに戦後政治を受け入れることはできない。戦争経験がないから、戦後政治のアンチテーゼである軍国主義の非正統性を実感を伴って理解するのは難しいし、2000年代後半は短期間での内閣の交代とねじれ国家による政治の停滞を目にしてきた。

 

そうした若年層が戦後世代と同じレベル感で戦後政治を信頼するのはほとんど不可能である。学校でちゃんと大人(戦後世代)が言うように勉強しても、ろくに就職もできなかったり、給料は増えなかったり、それによって私生活の充実が阻まれているようでは、民主主義の素晴らしさを理屈では理解しても、現在置かれている苦境を脱する上でなんら解決策を提示してくれない民主主義を感情レベルで共感して支持するのは無理である。

 

若者は低迷する日本の原因を戦後政治に見出しているのである。

 

この因果関係の理解が正しいかどうかはわからない。しかし、この因果関係が誤りだというのなら、リベラル勢力はなぜ誤りなのかをしっかりと説明しなければならない。鳥越氏のように、単に相手の理解不足を批判しているだけでは、戦後政治という現状を変革したいと考える層の不満を解消することはできない。

 

政治では現状維持勢力と現状変革勢力がいる。現状維持が続くのは、現状変革勢力の利益が一定程度反映されて、現状変革勢力が現状の継続を受け入れる場合である(もしくは、現状維持勢力が圧倒的なパワーを持っていて、相手が不満でも屈服させられる場合)。

 

現状(鳥越氏らリベラル勢力にとっては戦後政治)への反発が増えるのは、単に国民の無知ゆえではなく、それなりの政治社会的背景があることをリベラル勢力は理解するべきである。

 

参考文献

マーク・マゾワー(中田瑞穂・細谷龍介訳)『暗黒の大陸-ヨーロッパの20世紀-』未來社、2015年(原著は1998年刊行)

 

暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀

暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀