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多数で決めるは悪いのか? —どんな決め方ならいい?—

「多数で決めて何が悪いのか」

 

5月2日の朝日新聞の「憲法を考える」という論説の一文である。朝日新聞自体が「多数で決めて何が悪いのか」と言っているのではなく、安倍政権の政治を多数の専制と捉えての一文である。

 

朝日新聞によると安倍政権によって立憲主義が危機にさらされているという。具体的な根拠としては、2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定で歴代内閣の憲法解釈を首相の一存で変えたことや、憲法学者違憲との判断を示す中で安保関連法案を国会で通したことが挙げられている。

 

「数の力がすべてだ。◯か×か、多数で決めて何が悪いのかーー。ぎすぎすした政治が広がっている」

 

とのこと。

 

確かに憲法9条を擁護する立場からすれば、昨今の安倍政権下で進む安保関連法の整備や憲法改正に向けた動きに危機感を抱くのは当然である。

 

他方で、多数決によらないとすると、いかなる意思決定方法を理想とすべきなのだろうか。それがわからないとこの議論は先に進めないが、この問いに対する明確な答えを出すことは非常に困難である。

 

そもそも、1996年に衆議院議員選挙で採用された小選挙区比例代表並立制は、小選挙区では勝者総取りとなるため、得票率以上に議席を獲得できる可能性が高くなる。そのため、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に移行した時点である程度は選挙で勝利した政党が大幅に議席を獲得することは予想されたことである。

 

また、議院内閣制は議会の多数派政党と行政府のリーダーの出身政党が同一になるのが通常であるため、内閣が強力なリーダーシップを発揮しやすい制度である。

 

そのため、小選挙区制や議院内閣制を導入すると、首相が自分の望む政策を強力に推進できる環境が整いやすい。

 

では、それが立憲主義や民主主義の否定を意味するか、といえば、そうではなかろう。

 

小選挙区制度は米国や英国で採用されており、議院内閣制も英国で採用されている制度である。だからといって、米国や英国が非立憲主義国だとか非民主主義国とはならない。それと同様に、日本で多数の議席を獲得する政党が現れ、政権主導の政治が行われたからといって、それが立憲主義や民主主義の否定に即つながるわけではない。

 

だが、朝日新聞の懸念を無視してもいいということにはならない。なぜなら十分に議論すべき重要な論点、すなわち「誰が支配すべきか、誰の選好を優先させるべきか」という民主主義の制度化にとってとても重要な問いが込められているからである。

 

佐々木毅は、民主主義の制度を「多数派支配型」と「合意型」の2つに分けている。多数派支配型は、多数派の意向に合致する政治が少数派の意向に配慮するよりも民主主義の理念に適うという立場で、他方、合意型は、政治から排除される集団を限りなく少なくすることが民主主義にとって望ましいと考える立場である。

 

多数派支配型の代表格は米国と英国で、特に英国は議院内閣制、小選挙区制、厳格な党の規律に支えられ、首相がリーダーシップを発揮しやすい制度であり、それゆえ、多数派支配型はウェストミンスター型とも呼ばれている。現在の日本の制度もイギリス型を志向しており、であれば、首相がリーダーシップを発揮する局面があることはもはや所与のことといえる(小泉元首相を除いて、1996年以降も歴代首相はリーダーシップを発揮してきたとはいえないが、それは議院内閣制や小選挙制という制度に由来する原因というよりは、中選挙区制の名残で派閥が自民党に残っていたり、旧民主党選挙互助会的に多くの政党を統合したことで党内の意見を統一できなかったりすることによる)。

 

合意型は排除を避けて包摂を重視する一方で、多数支配型は意思決定がスムーズでリーダーシップを発揮しやすいので、政治が停滞するリスクは下げられる。どちらも一長一短で、どちらかの制度が優れているということはない。だからこそ悩ましいのである。

 

望ましい民主主義のあり方を問うた点で朝日新聞の論説は意味のあるものだ。

 

だが、もう一方で付け加えておきたいのが、変化を起こすほうが注目を浴びやすいため現状変革派はしばしば修正主義者とみなされやすい。現状変革派のほうが積極的にパワーを行使しているように見えるが、現状を維持の場合にはパワーが働いていない、、、なんてことはない。

 

現状維持かそれとも現状変革か、は互いのパワーの優劣によって決まるのであって、現状が維持されるのは、争点がないからでもパワーが行使されていないからでもなく、現状維持派が現状を維持という目的を達成するためにパワーを行使しているためである。

 

朝日新聞は安保関連法や憲法改正を、安倍政権や自民党サイレントマジョリティーが憲法9条の維持を望んでいるのに、それを無視して独断でことを進めているように理解しているのかもしれないが、現状維持の場合であってもそれは一部の人たちの選好には違いないのである。

 

安倍政権が憲法を改正しようとしなければ朝日新聞は文句を言わなかっただろうが、それはダブルスタンダードな態度である。議会の多数派が憲法を改正しないことを選択したとしても、それも議会の多数派による意思決定であり、多数派支配の一例には違いないからである。

 

「誰が支配すべきか、誰の選好を優先させるべきか」

 

もし、現状維持派が現状を維持するという選好を優先してほしいと考えるならば、なぜその選好が優先されるべきかを説得的に示すか、政治を支配できる「誰か」になる必要がある。

 

安倍政権で右寄りの政策が進むことに対する懸念は理解できるが、なぜ現状維持派の主張が説得力を失ったのかも考える必要があるだろう。そして、安倍政権の行動が多数派の専制だというなら、どういった制度ならいいのか提示する必要があるのではないか。

 

小選挙区制をやめて比例代表制を導入するのも一手だが、そうすると一党が議会の過半数を握ることが難しくなり、複数政党による連立政権になる可能性があり、決められない政治が惹起される可能性がある。もちろんドイツのように比例代表制を採用しても政治が進む国もあるが、ドイツでも移民排斥を主張する極右政党「ドイツのための選択肢」が台頭しつつある。比例代表制であれば極右政党が議会の過半数を占めるリスクは避けられるかもしれないが、一定の議席数を確保する場合、連立の一角を占め、事実上のキャスティングボートを握る可能性もある。多数だからといってそれが立憲主義や民主主義の否定になるとは限らない。圧倒的な多数派を生みにくくする制度であっても、それがかえって立憲主義や民主主義を否定する勢力を意思決定の場への参加を後押しすることもある。

 

多数派支配型を採用するか、合意型を採用するか、そしてそれが立憲主義や民主主義のあり方にどのような影響を与えるかは、簡単には回答の出せない難しい問いなのである。

 

いかがでしょう?

 

参考文献

佐々木毅政治学講義[初版]』東京大学出版会、1999年。