猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

受動史観と能動史観

押し付けられたから憲法は改正されるべきなのか。答えは「否」である。

 

それはなぜか。

 

理由は簡単だ。なぜならわれわれは自らの意思で能動的に憲法を受け入れ、そして支持してきたからだ。押し付けられたから本当はイヤイヤ従っていたんです、とはいかにも受身的で大人気ない言い分ではないか。

 

日本の植民地主義第2次大戦後の行いの特に負の部分をことさらに強調し、反省を促す歴史観自虐史観として否定する向きもあるが、私はそれとは別に戦後日本の歴史がGHQや米国によって押し付けられた価値観やルールに無理やり忠誠を誓わされたのだと捉える受動的な見方と、さはさりながらも西側から移植された価値観やルールは日本にとって決して悪いものではなく、むしろ日本人はそれらの価値やルールを積極的に受容し、われわれ自身に内面化してきたのだ、とする能動的な見方が存在するように思う。前者を受動史観、後者を能動史観と名付けたい。

 

憲法改正派が必要性の根拠の1つとして挙げるものに、現在の憲法は占領軍たるGHQが主導して制定されたものであり、日本が「真の独立国」になるためには押し付け憲法を改正して自主憲法を制定すべしというものがある。

 

現在の憲法押し付け憲法であることは論を俟たない。そもそもマッカーサー憲法改正権限の有無についてその法的根拠が不明瞭だったにもかかわらず、現行憲法マッカーサーが示した3原則、すなわち、①国家元首としての天皇、②戦争および交戦権の放棄、③封建制度の廃止、を強く反映しているからである。

 

確かに日本側から何のインプットもなかったわけではない。鈴木安蔵ら左派の憲法研究者によって構成された憲法研究会がまとめた憲法草案要綱GHQも参考にしたとされており、本要綱の存在をもって現行憲法の押し付け性を否定する意見もある。

 

しかし、押し付け憲法論で最も問題となる戦争および交戦権の放棄については要綱は規定していないし、そもそも日本が戦争に負け、米国が日本を占領していたという環境がなければこの要綱が日の目を見ることはなかったであろう。大日本帝国憲法下では、憲法草案要綱が取り上げられることも、そしてなんらかのかたちで採用されることもなかったはずである。その意味で同要綱の規定が憲法にわずかでも採用されるかどうかは米国の存在が不可欠であった。

 

そもそもどういったアイデアを採用するかは完全に米国に委ねられていた。当時、巷に存在した憲法案は憲法草案要綱だけではなかったはずである。中には大日本帝国憲法とさして変わらない民間研究者の草案だって存在したに違いないが、GHQ大日本帝国憲法的で復古的な憲法草案を採用したとは考えられず、憲法草案要綱が採用されたのは米国が占領軍として存在したこと、そしてどの民間研究者のアイデアを採用するかについてはGHQが選択権を有していたことが決定的に重要だったのであり、やはりその意味で現行憲法は米国主導で制定されたものであって、押し付けという言葉を使用するかしないかは別にして、米国が大きな役割を果たしたことを否定できる者はいないであろう。

 

もともとGHQ大日本帝国憲法のような保守的なアイデアを持っていたり、新憲法をどうするかノープランだったところに憲法草案要綱を目にして GHQが感銘を受けて民主的憲法の制定に舵を切ったということであれば憲法草案要綱の価値を高く評価してもいいだろう。

 

しかし、そのような事実はなく、憲法草案要綱の一部が現行憲法に採用されたのはGHQの選択基準に合致していたからに過ぎず、その選択基準そのものに憲法草案要綱が影響を与えたわけではない。やはり憲法草案要綱の存在をもってしてもGHQの主導性は否定できない。憲法草案要綱は現行憲法に少しでも自主性を見出したい人の慰め程度にしかならない代物であろう。

 

その意味で、本来であれば自国民の手によってつくられるべき憲法GHQ主導でなされたのは手続き上の民主的正統性を欠くというべきである。

 

しかし、もう一方で否定できないのは、われわれは憲法に対して何ら正統性を感じてこなかったということはなく、むしろ積極的に支持してきたことである(少なくとも私は支持してきた)。

 

私がそう考えるのは、現行憲法は事後的な正統性を獲得してきたと思うからだ。

 

確かに現行憲法GHQ主導で制定されたものである。一般の国民はおろか、日本の政策決定者や憲法研究者でさえもほぼ影響力をもたなかった点において民主的正統性を欠いていたのであり、その点で憲法には民主的な権威が欠落していたといえるだろう。

 

その欠けていた民主的正統性を事後的に付与したのが、選挙である。

 

第2次大戦での敗北後、普通選挙制度を採用した初の選挙となった第22回衆議院総選挙(1946年4月10日)は初めて男女が平等に参加できる選挙であり、その投票率は72.08%であった。サンフランシスコ平和条約の発効(1952年4月28日)により現行憲法が完全に効力を持つようになって初めての衆議院総選挙であった第25回選挙の投票率は76.43%であった。いずれも今日では考えられないほどの高い投票率であった。

 

投票率の高低には多くの要素が関わってくるだろうが、こうした高い投票率は現行の憲法とそれに基づく政治体制に対する支持と捉えることが十分できるだろう。投票所に足を運んだ人々は米軍に頭に銃を突きつけられてイヤイヤそうしたわけではない。進んで選挙に参加し、投票という権利を行使したのである。

 

確かに憲法制定過程に日本人は主導的な役割を与えられなかった。しかし、日本人は選挙というプロセスを経て自らの意思で現行憲法を支持してきたのではないか。押し付け憲法改正論はこうしたわれわれの両親や祖父母が下した選択をないがしろにするものであり、むしろ自分たちが下してきた選択さえも受け入れることのできない非常に器の小さな主張である。

 

ゆえに私は押し付け憲法改正論は放棄すべきであると考えるのである。

 

憲法を改正したいのであれば、押し付けかどうかは関係ない。時代の変遷とともに環境が変化したというその理由のみで十分であろう。押し付け憲法だろうが自主憲法だろうが、時代が変わればいくつかの条文は時代遅れとなったり、環境変化に対応して新たな権利義務を挿入する必要は生じる。すなわち、憲法を改正するかどうかは時代の変遷とそれに伴う環境の変化という根拠だけで十分なのである。

 

憲法9条の改正が必要なのは押し付けられたからではなく、中国の力の増大と現行秩序への挑戦や北朝鮮の核開発と暴発リスクといった憲法が公布された1946年当時の国際環境から大きな変化が生じたためである。それ以外の理由は不要である。

 

押し付け憲法改正論は左右の対立をムダに煽るだけである。押し付けであるがゆえに憲法を改正しろと右の主張が復古主義的な響きを持つからこそ、左が過剰に反応し護憲に走るのである。環境の変化という根拠だけで十分にもかかわらず押し付けか否かという不要な論点を付け加えることでかえって憲法改正論議が迷走し、必要な改正さえできない事態に陥っている。

 

戦争に負け、GHQ占領下にあるかぎり、当時の日本にGHQの要求をつっぱねることは不可能であった。そのため、勝手に憲法を作られ、その憲法に否応なく忠誠を誓わされていると心のどこかで思っているからこそ、現行憲法は押し付けであり自らの手で憲法をつくるべしという主張がわれわれ日本人の琴線に訴えるのであり、憲法への忠誠疲労に陥っているのが今の日本である。

 

ただし、それはあまりにわれわれの父母や祖父母がしてきた選択をないがしろにした誤った評価だ。われわれ日本人は自らの意思で能動的に憲法を受容してきたのであり、自分たちの下した選択の結果は自分たちで受け入れなければならない。憲法は押し付けであり、われわれは強力な力に押しつぶされた被害者面することはいかにも格好の悪い受動的な精神であろう。

 

われわれは憲法を自らの意思で支持してきた。それは認めるべきである。ただし、環境が変化したのだから憲法を改正する必要が生じた。それで十分ではないか。

 

いかがでしょう?

 

参考文献

  • 土山實男「日米同盟における『忠誠と反逆』—同盟の相剋と安全保障ディレンマ—」『国際問題』644、2015年。
  • 藤原帰一『平和のリアリズム』岩波書店、2004年。
  • 篠田英朗『平和構築と法の支配—国際平和活動の理論的・機能的分析—』創文社、2003年。