猫山猫之介の観察日記

猫なりに政治や社会について考えているんです。

自分らしく生きるための権力論

 

 

幸福になるために必要ながら、構築するのが難しいのが人間関係 

 

 

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個人の幸福感は少なからず人間関係の満足度に左右される。幸福感と言うと大げさであれば、日々の生活や仕事での快適さは人間関係によって、良くもなれば悪くもなる。日々のストレスの多くは人間関係に由来すると言ってもいい。アドラーは人間関係が幸せになるためのキーと言っているわけだから、それこそ人間関係をいかに形成するかは非常に重要な問題と言える。

 

しかし、この人間関係の構築というのが厄介だ。何が最も厄介かと言えば、相手の脳みその中身が読み取れないからだ。相手とコミュニケーションを取るが、相手の意図が発言として常に表出されるわけではないし、表出された言葉が全て相手の本心とは限らない。意図の伝達について、岡本は以下のように整理している。

 

ことばによる発話によって話し手から聞き手に何かが伝わったときに、半しての意図をどの程度示すかに関して、意図が明確な場合から、全く意図がない場合まで色々なケースがあるだろう。それを次のように分けてみる。話し手が心に抱いたことが聞き手に理解される場合に関しては、次の四パターンがある。

①表現通りにはっきりと 分からせる(表意を意図明示:伝達意図、情報意図あり)

②推測を通じてはっきりと分からせる(推移を意図明示:伝達意図、情報意図あり)

③それとなく示して推測させる(隠意を暗示:伝達意図なし。情報意図あり)

④伝えるつもりがなかったのに、伝わってしまう(見破られ:伝達意図、情報意図なし)

話し手は自分の意図をこのように色々に捉えているし、聞き手も話し手の意図をいろいろに解釈するだろうというわけである。

(下記書籍、102-103頁)

 

悪意の心理学 - 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ (中公新書)

悪意の心理学 - 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ (中公新書)

 

 

相手の意図が言葉ですべて表明されるのであれば人間関係はだいぶ楽になるに違いない。ギスギスした関係になる可能性もありうるが、相手が何を考えているのか深読みする必要はなくなる。相手が何を考えているか正確に読み取れず、本心では自分のことを嫌っているのではないかとか、いろいろ勘ぐってしまうからこそ人間関係は時に重荷になるし、そこから離れたくもなる。他方で、どんな相手・状況でもああだこうだ考えずに自分の立場を貫けるなら、それはそれで楽に人生を生きられよう。

 
自分らしくいるために

はてブロもそうだが、最近は自分らしく生きたいという意見が多い。

 

私も自分らしく生きたいと思う。できることなら。

 

そもそもどういう状態が自分らしいといえるか、という根本的問題があるが、とりあえずここではその問題はさておいて、人間関係構築は大変という大前提を踏まえた上で、どうすれば自分らしく生きられるのだろうか少し考えたい。

 

自分らしく生きるためには、相手から自分らしく生きることに同意してもらわなければならない。しかし、全ての人が自分らしく生きようとすればかならず摩擦が生じるだろう。摩擦が生じた場合、どちらの自分らしさを優先するか決めなければならない。

一つはそもそも摩擦を避けるために完全なる孤独を選択することだ。摩擦は人間関係によって生じるわけだから、人間関係を断てば自ずと摩擦も消滅する。

人間関係を維持しながら自分らしく生きるにはどうしたらいいか。上にも書いたが、そのためには相手から自分らしく生きることに同意してもらわないといけない。特に自分らしく生きることが、相手の自分らしく生きることを阻害する場合、自分が自分らしく生きることを優先してもらわないといけない。

そのためには権力関係において自分が相手より優越していることが必要である。別の言い方をすれば、相手が自分に依存しているときに、相手からの譲歩を引き出せる。相手がこちらを必要としているのだからこそ、こちらのワガママを聞き入れてくれるのである。

たとえば、売れっ子作家や芸術家のようにその人でないと出来ないことがあると、相手は自分に頼らざるを得ないため、その人は自分らしさを貫きやすくなる。

 作家や芸術家には破天荒な性格の人がいて、それはだいたいその人の天才性を示すエピソードとして語り継がれるが、その人がそうした振る舞いを貫き通せたのは、発注者がその人以外に頼める人がいないから、様々な理不尽を耐えたのである。その作家や芸術家が自分らしく振る舞えたのはそれを相手が許容せざるを得なかったという権力関係が存在することを忘れてはならない。

 

とすると、自分らしく生きたい人がどうすればいいかといえば、その人に頼まざるを得ないような能力や価値を獲得するか、自分より劣る人たちで構成されたコミュニティで生きることを選択するかのいずかになろう。前者のほうがより前向きとも言えそうだが、鶏口となるも牛後となるなかれ、という諺があることからすれば、後者の生き方も十分検討に値するといえそうだ。

 

前者を選びたいのなら、余程の天才でもない限りかなりの努力が必要となる。したがって、もし、自分らしく生きたいという意味が、嫌なことや大変なことはしたくないという意味であれば、その人は自分らしく生きたいという願望をさっさと諦めるべきである。

 

❇︎本記事は、私の別のブログで書いたものの転載です(そのブログを閉鎖したため)。

 

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指針なき時代を生きる

  

遠藤周作氏の幸福論 

遠藤周作氏は次のように言う。

 

周知のように印度人の八〇パーセントを占めるヒンズー教徒は一生を四つの時期にわけるという。

(中略)

そして更に人生の老いに入ると、この世にたいするすべての執着を捨てて、聖地を巡礼して歩く時期がくる。これを遊行期とよぶ。

(中略)

私も数年前、印度を旅している時、そのような年寄りに何回も会った。彼は家を出て聖地巡礼を始めてから既に二年が過ぎた、と語っていた。文字通り、老年を宗教的精進に捧げているらしかった。そして死が近づけば聖なるガンジス河のほとりに行き、そこで自分の遺体の灰を河に流してもらうのが人生の目的だと答えた。

正直、私はその時、自分の人生と彼の人生とを比較して、その大きな違いにびっくりした。しかし歳月がたって時折、その老印度人のことを思い出すと、一体どちらが幸せなのかなぁと考えるのである。

もちろん私は年をとって、死ぬまでに孤独に聖地を巡礼してまわることなどできっこない。しかしあの老人にはヒンズー教徒なりに確たる人生の原則があり、それの則って生きることを疑わぬ幸福があった。そうでなければあのようにホームレスの生活を二年も続けられる筈はないからである。

また私は日本の老人の心にからまる孤独や寂しさや愛のなさを考える時、彼等とあの印度の老人との、どちらが(本当の意味で)幸せかを比較する。そのいずれかが本当に幸せなのか、正直わからない。しかし富ながら生きる意味も目的も多く失ってしまった日本の老人と、生活的にはみじめなほど貧しいが何かを信じ、自分の老いに方向と意味とを持つ印度の老人をくらべる気持はやはり心の底に残っているのである(遠藤周作「富める者と貧しい者」『心の航海図』135ー137頁。

  

心の航海図

心の航海図

 

 

先進国の人間が途上国の、特にそこに住む貧困者に自分たちの持っていないものを見出して羨やむことはよくある。貧困者は富者が忘れてしまった本当の幸福を知っている、目が輝いているなどと褒めそやす言説はそこかしこに溢れている。お金を捨て去るのは簡単なことだから、そんなにそこに本当の幸福があると思うのなら、そこに住んでしまえばいいのに、と思う。お金がもったいないと思うのなら、途上国の貧困者に立場を交換しようと交渉してみればいい。彼らは喜んでその取引に応じてくれるだろう。 

 

幸福を左右するのは貧富ではなく指針を持ってるかどうか

前置きが長くなったが、ここでしたいのはそうした揚げ足取りではない。異議を唱えたいのは、むしろ彼の区分方法にある。

 

彼は金持ちと貧乏人と人を区分し、貧乏人に本当の幸福を見出している。しかし、より重要なのはその人が生きる上での指針を持っているか否かであると思う。インド人であればヒンドゥー教がそれに当たる。

 

人生にどのような意味を見出すか、どのように生きるべきか、その目指すべき方向を見出すのはとても難しい。宗教はしばしばそのための指針を提供してくれる。もちろん、その教義を正しく実践できているか、悩みや葛藤はあるだろう。しかし、教えそのもの、すなわち目指すべき方向性それ自体が疑われることはない。

 

他方で、現代の日本人が悩むのは、そもそもどこへ向かうべきなのか、自分の生き方はこれで正しいのか、それを測るべき指針や評価基準が存在せず、自分の人生の正しさをどう捉えていいかわからないことにあるのだと思う。先のインド人の例に即せば、たとえ裕福であってもヒンドゥー教に深く帰依していれば、とても幸福に見えるのではないだろうか。

 

われわれが生き方に悩むのは、宗教や特定の価値観から解放されたことの裏返しである。われわれは自由を獲得した。少なくとも特定の宗教を強制されることはない。

しかし、自由は不安も伴う。誰も正しい生き方を教えてはくれない。好き勝手に堕落した人生でも気にしない、と悟れればよい。しかし、実際は有意義な意味ある人生を送りたいと多くの人は感じる。だが、そもそもどのような人生が有意義で意味ある人生といえるのか、仮にそうしたものがあるとして、どのようにそれを達成すればいいのか、誰も教えてはくれない。

 

指針がなく漂流せざるを得ないことがわれわれを悩ませるのであり、それゆえにその道を示してあげようと手招きする自己啓発本にわれわれは手を出してしまうのである。

 

❇︎本記事は、私の別のブログで書いたものの転載です(そのブログを閉鎖したため)。

 

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JA全中は農業を犠牲にするなと言うけれど

 

 

EPAにおいて農業は製造業の犠牲になってきたのか? 

今月はじめ、日EU経済連携協定EPA)交渉が大筋合意に達した。交渉中、EUは特にチーズの関税削減を要求していたが、それに対してJA全中の奥野長衛会長は「工業製品を売り込むために農業が犠牲になるというパターンは、もうやめていだきたい」と述べたとされる(「再生産へ関税守れ」『日本農業新聞』2017年6月28日)。

 

日欧EPA大筋合意後の「日本農業新聞」の論説でも、日欧EPAを短兵急な「大筋合意だ。『米国第一』の保護主義に対抗するために自由貿易を進める中、一方的に農業分野が犠牲になりかねない」とある(「トランプ政権半年 保護か自由化かは不毛」『日本農業新聞』2017年7月20日)。保護か自由化かの二元論が不毛な対立という点は同意するが、日本農業新聞(とそこに出資している農協)の隠れた意図は、「国内産業の均衡ある発展を妨げず持続可能な地域経済の成長を担保する貿易政策の実現」、要するに安易に農産品の関税を引き下げるな、と主張することによって、農産品の関税削減に反対することにあるから、素直に彼らの主張に同意できない。

 

さらに言えば実態はその逆である。TPPを含めこれまで犠牲になってきたのは工業製品であり、それは農産品の関税撤廃を免れるための代償であった。TPPと日欧EPAは自由化率が95%を超える点で日本が締結したEPAの中では圧倒的に自由化率が高い。しかし、過去日本が締結してきたEPAの自由化率は90%に満たず、GATT協定24条が定めるFTAの基準(明確な基準はないが、通例協定発効後10年以内に90%以上)に達しているのは言えない質の低いEPAであった。

このような質の低いEPAになってしまったのは、農産品を関税撤廃の対象から外してきたからであり、その対価として相手側の工業製品の関税撤廃について日本は譲歩せざるを得なくなった。すなわち、JAや日本農業新聞が言う農業が一方的に犠牲になってきたというのは完全に誤りであり、事実は完全に真逆と言わざるを得ない。

 

バナナとリンゴ・みかんは一緒?

苦笑してしまうような一例を挙げよう。2006年に署名された日本とフィリピンのFTAでも農産物の関税削減は進まなかった。コメ、麦、乳製品、牛肉、粗糖、でんぷん、パイナップル缶詰は除外や再協議品目となり関税削減はされなかった。フィリピンの主力輸出品であるバナナについては、小さいバナナであるモンキーバナナの関税は10年かけて関税が撤廃されることになったが、通常のバナナはもともと夏季10%、冬季20%だったのが、10年かけてそれぞれ8%と18%に削減されるにとどまった。

 

なぜ日本でほとんど生産されないバナナの関税が撤廃されないのか、しかも冬季には18%という高関税が課せられるのかといえば、バナナが安くなると国内の他の果物が売れなくなる、特に冬季はりんごとミカンと競合するとされているからである。

バナナが果たしてりんごやミカンの代替品となるかはかなりギモンである。高関税を維持するためにこのようなナゾの方便が使われている。関税が残ればそれだけ消費者は損をする。ナゾの理由を持ち出してまで消費者の利益が損なわれる政策がまかり通っているのである(本間正義、下記書籍、122ページ)。

 

農業問題: TPP後、農政はこう変わる (ちくま新書)

農業問題: TPP後、農政はこう変わる (ちくま新書)

 

 

それでも農業の体質強化につながるならいいけれど 

消費者を置き去りにした政策も、それが日本の農業セクターの強化につながるなら、巡り巡ってわれわれの利益になるため受け入れることもできよう。しかし、実態はそうではない。

効率的で競争力のある農業を実現するには農地の集約・大規模化が有効とされている。しかし、農地の集約も大規模化も過去数十年進展しておらず、未だにほとんどの農家は小規模な零細農家である。

先日のブログでもふれたが、ガットウルグアイラウンド合意後に設けられた農業対策費6兆100億円の少なからぬ金額が温泉施設など農業強化にまったく貢献しないハコモノの建設費に消えた。関税削減をせずに消費者にコストを課したうえに税金を財源にした補助金を無駄なハコモノ事業に費やしてきたのである。

 

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貿易自由化によって競争が強まり、結果として廃業した農家もいたかもしれないが、温泉施設はそのような農家の助けにはならなかっただろう。

日欧EPAの国内対策としてJA全中は優良乳用牛の増頭や国産チーズ支援、牛豚の経営安定対策(マルキン)の早期拡充などの支援策を政府や自民党に要求するつもりのようだ(「全中 乳牛増、マルキン前倒し 日欧EPA対応方針」『日本農業新聞』2017年7月29日)。

全中は生産者の不安払拭と農業の体質強化のために万全の対策が必要という。しかし、6兆100億円かけたウルグアイラウンドの国内対策は農業の体質強化にほとんど寄与しなかった。果たして今回はどうだろうか?

 

安倍政権の支持率急落によって農業改革と貿易自由化が鈍化する

 

安倍首相の支持率低下とJAが持つ政治的影響力との関係 

安倍政権の支持率が急落している。新聞紙によって数字の差はあれど急落傾向にあることに違いはない。理由は明白で、加計学園獣医学部新設をめぐる疑惑とそれに対する安倍首相の説明不足やその他の閣僚や議員の問題行動・発言が響いている。

 

支持率急落が今後の政治にどのような影響を与えるのか。特に農業と通商政策に的をしぼりたい。

一番大きな影響は、JAの政治的影響力の相対的な拡大である。日本では農業総産出額や農業人口の観点からは農業は衰退傾向にある。そのため、研究者の中には、こうした農業セクターの衰退に加えて、 小選挙区制の導入や有力な農業族議員の減少、首相のリーダーシップの強化といった政治制度的な変化を踏まえると、農業セクター、とりわけJAの政治的影響力が減少していると指摘する者もいる。

長期的に見ると、この趨勢は疑いないものの、現時点ではJAの影響力を無視できる段階には至っていない。議員を当選させるほどのパワーはなくなったとしても、小選挙区でしかも他の立候補者との支持率が拮抗している場合には、数パーセントの票の移動が当落に左右しかねないため、依然としてJAは議員を落選させるパワーは持っているといえるのである。

 

TPP反対は農協を衰退へと導く | キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)

 

それでも首相が、高い支持率という政治的資源を有していれば、たとえJAからの支持がなくても他の有権者からの投票を期待できるから、JAからの要求を突っぱねることも可能となる。農業問題ではないが、2005年に小泉純一郎首相が郵政解散に打って出れたのは、郵政票がなくなったとしても他の有権者からの支持が獲得できると見込めたからであり、首相の政治的資源が相対的に高ければ、特定セクターからの影響力に対抗できるのである。

 

しかし、反対に支持率が低いとそうはならない。他の有権者からの投票は期待できないから、少しでも投票してくれそうなところに依存せざるを得ない。しかも、そのセクターを構成する人数が少ないほど逆に団結はしやすくなる。もともと農業ではJAが全国的にネットワークを形成しており、TPP交渉時には、TPP反対のために1000万人以上の署名を集める政治的キャンペーンを実施したほどである(山下、同上)。

 

支持率低下が日欧EPA国内対策措置の議論に与える影響

日欧EPAによる影響緩和にための農業向けの国内対策措置が検討されている。EPAによって悪影響を被るセクターに対策のための補助を用意すること自体は許容できる話だ。EPAへの同意獲得のためのサイドペイメントという意味合いもある。しかし、それがどのような中身になり、どの程度の規模になるかは議論の余地のある問題だ。

 

対策検討の議論にも支持率低下は影響しよう。日欧EPAはJAの反対を押し切って進められた交渉である。それでも世論の支持という政治的資源があればJAの反対があっても突き進むことはできよう。その場合でも何らかの対策は検討されただろうが、明らかにムダなJAの延命策やハコモノ建設にしか使われないような陳情は突っぱねることが出来るはずだ。

しかし、支持率が低下して政権の持つ政治的資源が減少すると、農業票やJAの立場を代表する農林族の発言力が強くなる。政権としても安定した政権運営や次の選挙での勝利のためには彼らの協力が重要となり、農林族やJAへの依存度が高まるほど、彼らの政権に対する発言力が拡大する。かくして、政権は農林族やJAに強いことが言えなくなり、反対に彼らの要求は通りやすくなるから、日欧EPAで言えば、すでに大筋合意してしまっている以上、対策措置を大盤振る舞いするしか道は残されていない。

 

GATTウルグアイラウンド国内対策措置の教訓

GATTウルグアイラウンドに伴う農業向け国内対策の規模は6兆100億円にのぼった。ちなみになぜ6兆飛んで100億円という中途半端な金額になったかといえば、国内対策調整に奔走した中川昭一自民党農林部会長への汗かき代だったのであり、農林族は国民の税金をそんなしょうもない根拠で配分していたのである。

 

その財政規模(引用者注:ウルグアイラウンド国内対策費の規模)の問題が大詰めになったとき、山本(引用者注:富雄)は”6兆円まではメドがたった。しかし、なんとかして6兆円を突破させたい。野党で昭ちゃん(中川農林部会長)には苦労の掛けっ放しだったから、昭ちゃんの「糊代分」を上積みしてやりたいな”と内々口にしていた。だから、山本が6兆100億円で大蔵省と手を握ったという話を聞いたときには、その100億円がまさに”昭ちゃんへのご褒美”と思わざるを得なかったのである(吉田修『自民党農政史』412頁)

 

自民党農政史(1955~2009)―農林族の群像

自民党農政史(1955~2009)―農林族の群像

 

 

それでも6兆を超える税金が日本の農業力強化につながっていれば納得もできよう。ウルグアイラウンド国内対策は、①農業構造・農業経営強化、②農業生産強化、③農山村地域開発の3つの柱によって構成されていたが、特に③の柱の「地域特性を活かした農産物加工販売の推進等新たな起業展開等にゆおる多様な収入機会の創出、地域住民にとって暮らしやすく、都市住民にも開かれた農山村の形成、耕作放棄のおそれのある優良農地の保全を通じた国土・環境保全機能の維持回復」の名の下に、結局少なくない金額が温泉施設等の農業力強化には何にもつながらないハコモノ建設のために消えたのである。

 

ウルグアイラウンドと農業政策~過去の経験から学ぶ | 国際化に備える農業政策(-2013) | 東京財団

 

農業改革で言えば、政府の規制改革推進会議が卸売市場法の抜本見直し等を検討する意向で、産地が卸に出荷物を必ず引き取ってもらえる「受託拒否の禁止」規定の存続も議論の対象になる可能性があるとのことである(「規制会議が議論再開 市場法抜本見直し焦点」『日本農業新聞』2017年7月21日)。受託拒否の禁止があることで、青果物の予期しない方策時にも販路が保証される必要があるとして、規定の維持を求める声もあるそうだ。 

仮に規制改革推進会議が受託拒否禁止の見直しを提言しても、会議自体が最終的な政策決定権限を有するわけではなく、内閣がそれを実現する政治的意思がなければどうにもならない。受託拒否禁止を農業族等が強く反対した場合、支持率が低く農業族やJAからの支持に依存すればするほど、規制改革の実現は困難となるだろう。

 

EPA/FTAで前例を作ることの重要性を示したTPPと日欧EPA

  

日欧EPAに対する作山氏のコメント

本日(7月9日)の「日本農業新聞」に明治大学の作山氏のコメントが掲載されている。同氏は次のように日欧EPAを批判する。

 

  • 交渉において、安倍政権は得るべきもの、守るべきものの範囲や情報公開方針などを明示せず、国民への説明責任を果たしていない
  • ハードチーズを含めコメ以外の重要品目でTPP並みの市場開放を約束している。これによって米国や他国から新たな市場開放要求を呼び込むことになる。牛肉は9%までの関税削減を約束しており、豪州から日豪EPAの再交渉を求められたり、カナダからEPA交渉の再開を求められたりして、米国を含めこれらの国が日欧EPA並みの関税削減を要求してくる
  • 麦、砂糖、豚肉、ハードチーズなどでTPP並みを適用したのは誤り
  • こうなった一因は、TPP協定を国会で批准したこと
  • FTA交渉は前例の有無が重要で、日本が正式にTPP協定を決めたことをEUが付け込み、他国(TPP)に約束済みの情報をせよと主張し、それに日本が押されてしまった(「他国の開放圧力必至」『日本農業新聞』2017年7月9日) 

 

日豪EPAでは、牛肉関税について、冷凍牛肉を18年かけて38.5%から19.5%に、冷蔵牛肉を15年かけて38.5%から23.5%まで削減することになっている(発効初年度にそれぞれ8%と6%関税が削減される)。関税削減率は日豪EPAのほうが不利なため、牛肉輸出国の豪州が再交渉を求めるのは道理である。

 

FTA交渉は前例の有無が重要というのもまったくそのとおりである。それゆえに私は先日のブログで発効は難しくともTPPの妥結は有意義だったと書いたのである。

 

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前例の重要性としての日シンガポールEPA

日本がはじめて締結したEPAシンガポールとの間のものである。これもEPA/FTAのおける前例の重要性を示す事例である。

シンガポールはほとんどすべての品目で関税が撤廃されていたから、経済的利益という観点からはわざわざEPAを結ぶメリットはなかった。しかし、もともと日本はWTO交渉を重視する立場でEPAには消極的であった。だが、WTO交渉が停滞したことから、世界の潮流は EPAへと移行し、その流れに乗り遅れたことを危惧する政府(特に外務省や経産省)は、EPAへの第一歩を踏み出す必要性を感じていた。

 

EPAがゼロというのとどこかの国と締結した経験があるというのは雲泥の差である。どこかとEPA/FTAが成立することでゲームのルールは完全に変わり、あの国と締結したのであれば、こちらの国と締結するのもアリ、反対派からしてもあの国と締結したのにこの国と締結してダメな根拠を挙げることが難しくなる。だからこそどんなものであれ、そしてどの国とであれ、EPAを締結するという事実それ自体が大事だったのである。

 

シンガポールは貿易立国のため、EPA推進派であったが、他方で農業生産が小さいため、日本からしても農産品の自由化が懸案となりづらかった。それゆえにシンガポールとの間で日本初のEPA/FTA締結となったわけで、それがその後の日本のEPA/FTA推進の第一歩となったのである。

 

自由貿易推進派からすれば、だからこそ前例を作ることが大事だったが、反対派からすれば前例は脅威である。日本農業新聞は農協団体が発行する新聞だから、TPPを悪しき前例として非難するのであろう。

 

EPAの恩恵をどうアピールするか 

ところで、普段われわれはEPAの関税削減の恩恵を意識することはないが、私は一度だけスーパーで日豪EPA関税削減の利益還元として牛肉を安売りしているのを見たことがある。

TPPもそうだったが、交渉に際して政府はEPA締結によってこんな利益がある、こんな効果があるとそのメリットを力説するし、実際に自由貿易はわれわれに恩恵をもたらすのだが、その恩恵を実感する機会はほぼゼロである。それがイマイチ自由貿易への支持が広がらない要因の一つだろう。世論調査では自由貿易EPAを支持する人が多いが、それもメリットがあるらしいと聞いたからというのが正直なところで、さらに突っ込まれて、商品が安くなったのを実感したことがあるかとか、賃金が上がると思うかとか、雇用が増えると思うかとか、各論にブレイクダウンされるとよくわからなくなるだろう。

実際、米国の世論調査では、総論としてはEPA/FTAへの支持は高いが、各論で経済や雇用、賃金への影響を聞かれると恩恵がないと答える人が多くなる。自由貿易EPA推進の立場からすれば、スーパーなどに宣伝してもらえるとありがたいところである(もっともスーパーはJAや農家と取引があるだろうから、やたらにEPAをアピールするのは立場上難しいだろうが)。

日欧EPA〜サイドペイメントによるウィンセットの拡大〜

 

 

日欧EPAの大筋合意成立と発効できずとも意義のあったTPP 

日欧EPAが大筋合意に至った。保護主義が蔓延する中でこのような合意に至ったのは素晴らしい限りである。

タリフラインベースで自由化率が95%を超えるようで、TPP以来、日本のFTAの自由化率が95%超えが当たり前になったように思われる。既決のFTAの自由化率は90%を下回っていたから、ようやく日本のFTAFTAと呼ぶに値する水準になったといってよい。

 

逆に言えば、あるFTAの水準は他のFTAに波及すると考えられ、高い自由化率を警戒する人々からすると、仮にその産業に大した影響がないとしても、他のFTAへの波及を恐れて高い自由化率に反対する動機を持つことになる。あるFTAで高い自由化率を設定した場合、なぜ他のFTAではそれが出来ないのだ、不公平だ、と相手国なら要求された場合、その主張に抵抗することは難しくなる。ゲームのルール自体が変わってしまうのであり、現行のルールを望む立場からすれば、ゲームのルールを根本的に変更することに強く反対する。(アメリカを含むかたちでの)TPPの発効はほぼ不可能であるが、それでも日本のFTAのルールを変えたという意味で、TPPの妥結は日本のFTAのあり方を考える上で非常に有意義であったといえる。

 

 交渉が難航したのは、日本側は農業、特にチーズ、EU側が自動車の関税撤廃・削減であった。欧州産のチーズは日本でとても人気だから、関税が下がればわれわれ消費者にとってとても嬉しい話だが、反対に生産者からしてみたら人気者だからこそ競争相手として大きな脅威ということになる。それはEU側の自動車もしかりだ。日本車はとても競争力がある。それゆえにEU側も自動車の関税引き下げを渋るのである。

 

従って日本国内であればJAがこのFTAに反対であり、チーズの関税削減には慎重であるようしきりに政府に要求していた。本日(7月6日)の「日本農業新聞」もチーズの無税輸入枠を3万トンにしたとしても(EUの要求は6万トン)、国内生産の6割にあたり、EUの乳価は北海道のそれの半分程度と安いため、安価なEU産チーズに国内市場が奪われかねないと懸念を示している(「日欧EPAチーズ交渉 要求半減でも影響大」『日本王業新聞』2017年7月6日)。

 

農業セクターが日欧EPAに同意した要因〜ツーレベル・ゲームによる説明〜 

最後は政治決断で大筋合意に至ったわけだが、農業セクターが一人負けしたかといえばそうでもない。早くもFTAによる負のインパクトを緩和させるための支援策が検討されている。ちなみにGATTウルグアイラウンドが成立したときは6兆1000万円の対策費、TPPのときも6000億円の支援が用意された。

裏を返せばFTAが成立しても、同時に補助金が期待できるからこそ、最終的に農林族議員やJAも折れることができるといえる。農林族議員やJAは交渉中は盛んに反対することで、農家のために全力を尽くしているように装えるし、尽力虚しくFTAが成立してしまっても、多額の補助金を獲得しました、と胸を張って言える。

 

こうした補助金はサイドペイメント(協力したことによる報酬)と呼ばれるものである。FTAの合意を成立させたい立場からすればサイドペイメントという誘引によるパワーを行使することで自身の望む政策を実現できるのであり、反対派の同意を獲得するための重要な手段の一つといえる。

 

外交政策とは、石田淳の言葉を借りれば「国家の間での対外政策の選択のマクロ性」と「国内における対外政策の選択それ自体のマクロ性」の二面性を有する(石田淳「国際政治理論の現在(下)ー対外政策の国内要因分析の復権ー」『国際問題』No.448, 1997年)。

その両方を同時に分析する枠組みがロバート・パットナムのツー・レベル・ゲーム論である。ツー・レベル・ゲームとは外交交渉は、相手国政府との交渉という第1レベルと、国内における利害調整という第2レベルの、二つのレベルでの交渉が同時並行的に進むとする理論で、政府は相手国政府のみならず、国内で合意に反対する勢力からの同意を獲得しなければならない。国内からの同意を獲得しつつ、相手国政府にも許容できる範囲、すなわち外交交渉の合意成立が達成できる範囲を「ウィンセット(win-set)」と呼ぶ。ウィンセットの幅が広いほど外交交渉の合意が成立しやすくなるが、国内に反対派を抱えているほうが、相手国の譲歩を引き出せるとパットナムは主張する。

 

ウィンセットが幅によって合意成立が容易となったり、自国有利の妥結が可能となるため、政府はウィンセットの幅を調整しようとする。国内の反対派からの同意を獲得してウィンセットを広げるための手段の一つがサイドペイメントである。反対派は合意そのものからは不利益を被るため反対するが、合意が成立してもそれを埋め合わせるための対価を得られるなら、合意支持に転換しうる。サイドペイメントは同意獲得のための重要な手段なのである。

 

今回のEUとのFTAでも、日本政府は養豚農家への補填金の割合を8割から9割に引き上げるとか、木材の競争力を高めるための加工施設や林道整備費用を助成するとか、そういった支援策が検討されている。最終的にはもっと大きな農業支援策ができることだろう。

 

JAは日欧EPAに強く反対してきた。それでも最終的に大筋合意妥結にこぎつけることができたのは、自由貿易の大切さが広く認識されるようになったという背景はもちろん重要であるが、サイドペイメント(補助金)を挙げることによってJAの同意獲得が可能となったからであると考えられるのである。 

大筋合意が近づく日EUEPA、消費者の利益と農業の利益のバランスをどうとるか?

 

大詰めを迎える日EU・EPA交渉 

新聞等で報じられているが、日EU・EPA経済連携協定)の大筋合意が近づいている。日本、EUともに7月での大幅合意を目指しているとされる。

 

依然として関税等をめぐって調整が必要な点は残っている。日本は農業、特に乳製品(チーズ等)、EU側は自動車が特に保護したい品目だ。

 

日本政府は畜産経営安定法を改正して、農協系以外にも乳製品流通を認めることを目指していたが、これに農業団体や野党が反発していて、これにさらに彼らが反対しているチーズの関税引き下げを認めるとなると、さらなる反発を招くのは必至であった。しかし、畜産経営安定法の改正にも目処が立ち、EPAの交渉が進めやすくなった。

 

他方、EU側としても英国の離脱交渉を控え、交渉のための人員をそちらち割きたいという希望があった。両者の思惑が一致したため、交渉進展の見通しが立ったのである。とはいえ、まだ詰めるべき論点は残っているため、これで大筋合意とならなければ、EUは英国離脱交渉に注力しなければならないから、交渉の進展に暗雲が立ち込める。

 

乳製品の関税引き下げが争点  

日本農業新聞も同EPA交渉の動向を報じているが、欧州の乳製品について、以下の記述がある。

 

政府内には環太平洋連携協定(TPP)水準の譲歩を容認する見方が支配的だが、生産現場には、消費者の評価が高くブランド力がある欧州産農産物への警戒感は強い。乳製品などで欧州側はチーズをはじめTPPを超える市場開放を要求しており、仮に、欧州側に日豪EPAやTPPなど既存の協定内容を超える譲歩をすれば、それら協定の見直しが避けられず影響が拡大する恐れが大きい。慎重な検討が求められる。

 

確かに日本ではヨーロッパの農畜産品や食品はとても人気だ。私も例に漏れず好きである。それゆえ、日本の農業セクターが脅威を感じるのは当然と言えば当然といえる。

 

しかし、他方で日本農業新聞がしっかりと認めるように、それは多くの消費者が買いたいと思う商品であり、そのため関税が削減されれば多くの消費者が恩恵を受けられることを意味する。安全性等が問題なら検疫等の措置が必要であるが、EUはHACCPや農業生産工程管理(GAP)といった認証取得を積極的に進めており、むしろ検疫や食品安全の水準という点では日本と同等か上回っているともいえる。

 

ちょっと余談、、、農産品の国際認証 

ちなみに東京オリンピックで選手村に野菜などを供給する場合、GAPなどの第三者認証取得が必須である。しかし、日本農家のGAP認証取得率は1%を下回る。このままではせっかく日本の素晴らしい農産品を世界にアピールする絶好の機会にもかかわらず、日本産の農産品は選手村で使用してもらえないという悲しい話になるからだ。

 

www.j-cast.com

 

自民党農林部会長の小泉進次郎氏がGAP等の国際認証取得を強く訴えるのは、オリンピック等の競技大会において日本の農産品を世界にアピールすることと、FTA等を利用した輸出拡大を果たすために絶対に必要だからである。

 

www.jacom.or.jp

 

さて、日EU・EPAに話を戻せば、関税削減が多くの消費者にとって利益になることが自明にもかかわらず、それでも高関税によって農畜産業を海外からの競争から保護するのであれば、それだけの正当化根拠が必要なはずだ。

 

関税以外の農業保護を目指せばいい

これは先日のブログにも書いたが、農業の保護をやめろ、という意味ではない。農業の保護、特に農家の所得保障については直接固定支払いや不足払い、農業保険といった他の手段によっても確保できる。それらの保護手段であれば、消費者は関税削減によって安価になった欧州産の製品を楽しめるし、農家の所得保障も可能になる。

 

mtautumn.hatenadiary.com

 

 そもそも日本の農畜産品のクオリティは非常に高い。そう易々と欧州産農畜産品との競争に負けるとは思えないし、むしろヨーロッパ市場に打って出ることさえ可能であろう。実際、自民党の日EU等経済協定対策本部の本部長に就任した西川公也農林・食料戦略調査会長が言うように、輸出攻勢のチャンスともいえるのだ(もっとも、そのためには上述のとおり国際認証を取得するための努力が必要ではあるが)

 

一方、西川氏は、欧州が輸入規制している豚肉を念頭に、「制度上、輸出できない仕組みになっていたが、そこをクリアすれば(国産品は)十分、競争力があると思う」と述べ、輸出解禁にも取り組む考えを示した。

 

消費者の利益と農業の利益のバランスをどこに求めるかはなかなかの難題であるが、消費者の利益が大きいことを農業界の利益を代弁する日本農業新聞でさえ認める今回の場合、関税引き下げは受け入れて、他の手段による農業保護にシフトするいいチャンスだと思う。

 

しかし、TPP交渉を進める理由の一つが、TPP交渉を進展させることでEUの焦りを呼んで、日EU・EPA交渉を有利に進めさせるというものであったが、その肝心なTPPが米国の退場によって、TPP11の可能性が残るとはいえ、当初の想定から大きく後退した。今ではむしろ、日EU・EPAによって米国とのFTA交渉を有利に進めることを目指すというのは、何とも言えない皮肉である。保護主義の嵐が世界で吹き荒れる中でのメガFTAの成立は、自由貿易を守る防波堤になり得るだろうか?